2003.11.09 ねりま光が丘ロードレース完走記

 大江戸飛脚会のメイン行事として10キロレースに参加しました。総勢20名以上の参加で、ユニフォームも目だっていたと思います。また、今年亡くなった会員のつゆちゃんの追悼というこてで、ゼッケン喪章を付けて走りました。つゆちゃんは、残念ながら、私とは面識がありませんでしたが、元気な明るい性格で仲間から親われていました。人間はみないつ不幸がやってくるかわからない、元気なうちに、思いっきり生きて、走っていきたいですね。

 ところで、私の調子はというと、最悪。
 新潟マラソン前最後の5000m走の翌日から発生した、股関節の痛みがなかなか完治しなかったため、10日間全休して、接骨院で針を打って治療に専念し、ようやく、このレースの2日前に、5キロのジョグ、前日に5キロビルドアップ(キロ4’30→4’00)ができるようになった状態でした。
 
 来週の東京のフルのことを考えると、ここで、なんとか10キロ40分切りをして、自信をつけておこう、ということで、キロ4分を目標にしました。 ちょうど、10日の休養に入る前に、トラックでひとりで走り39分54秒だったので、そんなに無理は目標ではないと思っていました。
 このレースは、途中のキロ表示が全くなく、ペースをつくるのが難しいのです。ちょうど、飛脚会のエース、はやしっちさんが足首の調子が悪く、「今日はジョグでいく」と話していたので、ならばと、「キロ4分でひっぱてもらえませんか?」とお願いしたら、快く引き受けてくれました。

 スタートは早く並んだ順だったんのですが、出遅れて失敗。最初のトラック1周とちょっとは、走りずらい感じでしたが、タイムをチェックするとまずまずでした。1キロ付近で、ジョギングコースと重なり距離をチェックできるところがあり、400mを93秒。「ちょっと速いので落としましょう」とはやしっちさんがいってくれたので、ちょっとホッ。

 その後、ねこちゃんと合流して進みました。ねこちゃんも呼吸では楽な感じではなかったのですが、結局、最後まで緩めず、39分台でゴールしました。見事です。これは、一般的なことですが、女性ランナーは、レースの初めっから荒い呼吸をしていることが多いのですが、最後までそのまま頑張っていくことが多いと思います。苦しみに対する耐性が男性より強いのでしょうか?

 ところで、私はというと、早くも、3.5キロ地点で落ち始めてしまいました。初めは、ちょっと一休みのつもりでねこちゃんの後ろに付けたのですが、1m、2m、3m・・・と離れていきました。いつも後から思うのですが、なぜ、あの時もうちょっと我慢できなかったのでしょうか?でも、その時は、なぜか無抵抗に離れるに任せてしまうんですね。いっつもです。

 すぐに、Jackさんに抜かれ、その後は、背中が遠ざかるばかり。キロ4分でいく、と言った元気はどこへやら・・・

 地元の大会なので、知り合いからも声をかけていただきました。ありがたいことですが、でも、今日のレースは見て欲しくないなーとも思ってしまいました。

 途中、6キロ付近で、飛躍会のよっしーさんから、「マイペース マイペース」と声をかけていただき、ちょっと冷静に。

 最後の1周焼約3キロは、なんとか惨めな失速だけは避けようともがいていました。とにかく足がでない、重たい、って感じでしたが、顔をゆがめながら、なりふりかまわず、といった感じで走っていたと思います。

 何とか事態を打開しようと、8キロ付近で給水を取りました。10jキロを走るのに途中で水を取ったのは初めてです。それでも、ロスタイムがあっただけで、効果なし。

 ゴール前で、ようやく力がでて1人を抜きましたが、全般に、後半は、抜かされ続きでした。トータルは、手元の時計で、41分16秒。40分を切れないどこtろか、41分も切れず、しばらく言葉を失って、チップをはずしながら、うずくまっていました。

 それでも、2年前のこのレースは、46分16秒。ちょうど5分速くなっている。コースレコード大幅更新! 練習もしないでこれだけ走れれば上達したもんだ、走ったあとも股関節は大丈夫そうだ、 と、よいことを並べ、、前向きに考えることにしました。いよいよ来週は、大一番、東京国際女子マラソン記念市民マラソンです。