2008.05.18 星の里八ヶ岳野辺山高原ウルトラマラソン 完走記  



  
 マラソンでサブスリーをするまでは、と封印していたことが、二つある。 ひとつは、富士登山競走で、もうひとつは、100kmウルトラマラソンである。
 2006年2月の泉州国際市民マラソンで、念願のサブスリーを果たして、自分へのご褒美として、喜びいさんで富士登山競走へエントリー、完走を果たし、富士山頂で感激する。 ところが、ウルトラのほうはというと、なかなかその気にならず、やり過ごしていた。
 
 生涯一回限りになるかもしれないが、食わず嫌いでもしょうがないし、走力が絶頂の今だからこそ、挑戦してみようと思った。 どの大会がいいか、 一回限りなら、「もうおなかいっぱい。 これ以上いいや。」と思えるように、日本でも一番タフだと言われる100kmコース、野辺山を選んだ。 それに、野辺山周辺は、今から20年以上前、サイクリングをやっていたときに、よく行ったところ。 八ヶ岳周辺は、自分がもっとも好きなエリアである。

 1週間前は、東京マスターズの記録会で、10000mと3000mを走り、その後走りを禁欲した。 脚は使っていなければいないほど持つだろう。 フルマラソン前は、3日連休がベストと経験則からなっているが、ウルトラなら、きっと6連休位がベストだろうと踏んだ。

 前日は、電車で現地入り。 大会が用意した東京方面からのバスもあったが、これまた、経験則により、前日は、車・バスの移動は避けたほういいと思った。


JR最高標高の野辺山駅 駅前の公園


 泊まる部屋は相部屋。 実は、シングルを申し込んだのだが、時すでに遅しであった。 相部屋は、ランナー仲間を知り合える楽しさもある。

 せっかくだから、前夜祭に行った。 参加者4定員400名で、1人1000円、開演30分前くらいで完売となったようである。 結構、盛り上がって楽しかった。 そこで、予想外に、どららさん夫婦、そして、なべちゃん夫婦・miminさん・Masaさんご一行に遭遇し、嬉しかった。

 食事をしてホテルの部屋に午後8時過ぎに戻ると、相部屋の残りの3人は、すでにベットの中で就寝中。 さすが、ウルトラランナーは、眠ろうと思えばすぐに眠れるたくましさがあるんだな、と関心した。

 自分はというと、まず、大風呂に入りに行き、それからベッドに入ったものの、いつもの就寝時刻の午後12時になるまで寝付けず、その間、トイレに立つとこ2回。 部屋のトイレは音がするので、下のロビーまで降りて行くといった具合であった。 だから、できるだけ最後まで寝ていたかったのだが、午前3時の起床時刻前、2時45分ごろ、カサッと音がするだけで、目が覚めてしまった。 睡眠時間2時間45分。 この時点で負けである。

 睡眠不足になることは、ある程度わかっていたので、金〜土曜にかけて寝れるかが勝負と思っていたが、土曜は、子供の部活にため、妻が早起きして弁当作り。 自分は何もしないのだが、全く気が付かず寝続けるタフさはない。 単純に当日の睡眠不足、しかも異常な睡眠不足という事実だけが残った。

 身体を横にしていれば、身体は眠っているのと同じ効果がある、とどこかできいたり読んだことがあったので、それを信じていくしかなかった。

 ウェアの選択には迷ったが、上は、半袖シャツとランシャツの重ね、下は、ランパンということにした。 気温発表が10度を少し下回っていたので、手袋を迷ったが、日中は暑くなって邪魔になることを予想し、やめた。 シューズが、自分に合うのはミズノとまず決めた上で、この大会用に」ウェーブLSD」というそれ用ノシューズを購入したが、練習で2キロ試走しただけで、アーチが痛くなったので、今は実用シューズになっている。 結局、いつもの「ウェーブエキデン」(2006年までのモデル)で、先月のかすみがうらマラソンでフルを完走しただけのシューズを使うことにした。 26cmで片足135gという、超軽量シューズである。 おそらく今大会で、こんなシューズをはいていたいた人はいなかったのではないだろうか。

 大会会場にワセリンが置いてあり無料で使えたので、腹回りと足の裏に塗った。 足裏に対しては、賭けであった。そんなことしたことがないからである。 結果的には、シューズの選択も含めて、最後までマメもできず、爪も剥がれなかったのだから、正解であった。

 着替えポイントは、3ケ所、42km、58km、87kmのうち、2ケ所選択だが、42kmと87kmに、同じように、半袖シャツ・ランパン・ランシャツ、手袋、ソックス、バンドエイド、下痢止め薬(使い慣れているビオフェルミン)、加えて、58km地点に同じく軽量な「ウェーブエキデン120」をいれた。 着替えるためというより、何か破けるとか、アクシデントがあった時用である。 結果的には、87kmにロングスリーブを入れておいて、最後に着替えたほうがよかったと思う。 ラスト10kmは、日暮れ時で歩きも入っていたため、結構、冷えたのである。 

 ウェストポーチをつけている人が半数以上だったと思う。 中には、ショルダーバックだったり、ボトルを付けている人も。 私の場合、かつて、通勤ランで、ウェストポーチを付けたら、1キロを肌ずれを起こした。 ショルダーバックも同様。 5キロごとにエイドがあるのに、なぜ、必要なのか、理解できないというのが本音。 ただ、カメラを持参したい気持ちはよくわかる。 それできれば、このページだって、もっと、ビジュアルになるだろう。

 フルマラソンのマンモス大会と違って、準備にあせりまくる必要はない。 トイレも体育館内だけだったようだが、混み具合は、10分待ち程度。 着替えポイントに荷物を会場到着とともに預けたのは正解で、直前は、結構混んでいるようにみえた。

 スタート位置は、初ウルトラの礼儀にように感じて、また、自分は専門外という意識もあり、最後尾に並んだ。 最近のマラソンでは、並ぶ位置取りこそ勝負、とか感じて、目が血走っていたように思う。 こういうゆっくりとした心持ちを味わう。 そこで、意外にもGさんと遭遇。 「ゆっくりいって、ラスト20キロでキロ5分で走りたい」なんて、後で考えると、とってもありえないことをしゃべってしまう。

 スタートラインまでは、Gさんと並んで歩く。 ロス2分01秒。 ここで、ミス。 早速、時計を一時停止してしまう。 今日ののんびり具合を反映している。 まあ、絶対時間をみればいいっか、と思う。 10キロ通過ポイントでリスタートさせたが、以降、絶対時間と、ラップを切り替えながら行くのが面倒であった。

 さて、最初は、ゆっくり、力をいれず、と思って走る。 キロ何分で走っているのか、全く見当がつかない。キロ5分か、キロ8分か? キロ4分でないことは確かである。 ゆっくりでも、最後尾スタートだったんで、どんどん抜いてしまう。 5キロ通過で、時計を見て、32分30秒くらい。 キロ6分の走りである。 OK. OK。 実はまだこの時点で、「サブテン」(10時間以内)なんて、後でみると、とんどもない高望みも、捨てきれないでいたのである。 チャコさ達と遭遇。

 やがて、登り坂が加わり、10キロ通過が、1時間06分。 登りだから、しょうがないか。

 そこから、未舗装の林道へ。 ゆっくり、ゆっくり、と思っていても、どんどん抜いてしまう。 富士登山競走に比べたら、楽勝じゃん。 13キロ地点のエイドで、予定とおり、パンを2つ。 立ち止まって、ゆっくり、ゆっくり、噛んで食べる。 最後まで、食べながら行けるか、が完走の鍵だと思っている。 私の場合、走っている時の胃腸には、全く自信がない。 フルマラソンでは、まず、食べない。 取るとしても、飴玉程度。 走った後は、たいてい気持ちが悪く、1〜2時間は、何も食べられない状態になるのだ。

 林道最高点、標高1908Mは、意外とあっけなく着いた。 もう、来ちゃったのって感じ。 そこからの下り、時間を取り戻すべく、気持ちよく行った。 下りは得意なのだ。 無理しなくてもスピードがでる。 でも、そこに落とし穴があった。

 ちょっと、ぬかるみがあることろで、つんのめった。 何とか、バランスをとろうとしが間に合わず、手をついて、腰から落ちた。 「大丈夫ですか」と周りのランナーから言われ、「大丈夫です」と答えるしかなかったが、痛かった。 右手から出血し、しばらくして、左薬指を突き指していた。

 しかし、この衝撃で、少し目が覚めた。 キロ6分を標準として、5キロごとのラーップをチェックしている、という、いわば、フルマラソンのレースのような心持ちが、急に遠ざかっていった。 半ば、ふて腐れたような、半ば、すっきりしたような気持ちで、ゆっくり下っていった。 23キロエイドで、水を借りて手を洗う。 見た目、かなり出血していたが、傷は小さかった。 それにしても、この下りの5キロ区間で、34分かかっているとは!ここで、完全に走る態度が変わった。

 23キロのエイドからは、再び舗装路へ。 アップダウンしながら進む。 森林浴が気持ちいい。 記憶によると、30キロ過ぎに、一部、また、未舗装部分があったように思う。 35キロの稲子湯の手前に坂は、急勾配だ。 けっこう、歩いている人もいるが、35キロで休憩を取ろうと思っていたので、走って登った。 だた、このあたり、やっぱり、フルマラソンの35キロのような感覚、つまり、終盤の感覚がでてきた。 35キロは、35キロなのである。 前途に不安を感じる。

 35キロのエイドで、おしるこを2ついただく。 ちゃんと、普通に、食べられていることに、よし、よし、と思う。 ゆっくり噛んで、腰まで下ろしてしまう。 合計10分の休憩。 ちなみに、ここのトイレのペーパーが切れていたので、主催者の方に次回は準備をしていて欲しい。 
10キロあたりから、前後して走っていた、なべちゃんとは、ここでお別れ。

 ウルトラ10回目のどららの相方とは、その時点まで、相前後して走っていた。 「休憩取るより、歩いたほうがいいですよ。」とアドバイスされた。 全く、その通りだと思う。 10分の完全休憩で、いわゆる「筋肉が固まった」! フルマラソンでも、ゴール後、一歩も走れなくなるでしょう。 あれって、今まで、気持ちの問題化と思っていたけど、身体的にも、走れなくなるんですね。 

 ただ、気持ち的には、ここから50キロ手前あたりまでが、一番、気分よく走れた区間である。 5キロごとのラップなど、気にしない。 とにかく、お日様が沈むまでに帰ればいいんだよね。 登山(ハイキング)とか、昔よくやった自転車旅行の感覚を思い出し、楽に行った。そうしたら、どこまでも走れるような気がしてきた。 そうか、これが、ウルトラマラソンの極意かと思った。 このあたり、右後方に、雪をかぶった八ヶ岳がはっきり見えてきた。 壮大な景色、新緑のと、鳥の鳴き声に浸りながら、幸福を感じていた。

 得意なはずの下り坂にもかかわらず、がんがん抜かれた。 どららの相方さんも、ここでお別れ。 でも気にしない。 42キロ地点の松原湖は、高校3年の時の友人との自転車旅行で泊まったことろ。 実に30年近くぶりだが、どうなっているだろうか、まるで旧友に再開するように楽しみであった。

 フルマラソン地点通過は、4時間56分で、サブ5は維持。 ここで、着替えポイントがある。 暑がりの自分だから、マラソンレースなら、ランシャツ1枚になるところだが、今日は、もう、その気分ではなかった。 速く行くことに意欲をなくしていたのだ。 

 楽しみにしていた松原湖は、道も拡張され、泊まったであろう民宿などは、全くどこにあったのかわからなくなっていたが、湖だけは変わらない。

 下り傾向が続き、50キロ地点が、標高883mの最低点。 ここで、11時前。 ちょっと早いが、昼食休憩をとることにした。

 おにぎり2個と、みそしる2杯、腰を下ろしてゆっくり食べた。 普通に食べられたことに、これでいけると思った。 しばらくしたら、チャコさん、mimiさんが追いついてきた。 なんだかとっても楽しい気分。 mimiさんからは、行列ができていたそばを一口分けていただいた。

 17分半の休憩後、出発すると、今度は、坂を登っていく。 まずは急がず、と思ったが、すぐに、急ごうにも急げないどころか、マラソンの末期も末期、とぼとぼとしか進めない自分に気がついた。 まだ、道中、半分来たところなのに、これはやばいと思った。 まわりからは、どんどん抜かれていく。

 気がついたら、昨晩の食事をご一緒した方(以下サングラスがカッコよかったので仮称「グラスさん」と呼ばせていただく。)にした。 グラスさんも、下り坂でこけたということで、腕に傷を負っていて、急に、同類だなあ、と親近感を持った。 グラスさんが自信なさげに「完走できるかどうか・・・」と言うので、 私は、「まだまだ時間の余裕ありますよ。キロ9分でも、30分のおつりが来ます」みたいなことを言った。 しかし、実は、内心、このキロ9分にも自信が持てないほど、失速していた。 やがて、グラスさんに追いつけなくなる。

 58キロは着替えポイント。 この大会、42キロ、58キロ、87キロの3ケ所のうち、2ケ所に荷物を置けることになっている。 私は、58キロはパスしていた。ここは、この大会唯一の折り返しで、坂も下りに転じるので、ここはノンストップでやり過ごした。が、これは失敗だった。 丁度お昼時で気温も上がり、喉が渇いてきたのだ。 どういうわけか、60キロにエイドがあるように錯覚していたのだが、実は、63キロまでエイドがないのである。 マラソンの5キロなんて、すぐだけれど、今は、5キロに45〜50分かかっている。 

 この上、脱水になったらまずい、水欲しい、水欲しい、道の反対方向にエイドはあっただろうか。と思っていたら、私設エイドがあったのだ! ここで、お茶を2杯いただき、本当に救われた。 ありがたかった。

 65キロあたりから79キロの馬越峠までは、ずっと登る。 50キロ地点からすると、標高差、740mである。 いよいよ覚悟をして登らないといけない。

 ところで、余談だが、この馬越峠、「まこしとうげ」と読むのか、「まごえとうげ」と読むのか、いまだにわからない。

 さて、覚悟とは書いたが、実際、そんなに気を張り詰めていたわけではなく、旅をするような気持ちで行くことにした。 峠の頂上の見晴らしはいいのだろうか、などと想像して楽しみな峠越えを考えることにした。

 71キロ地点はで、71キロコースの参加者はゴールである。 なべちゃんに声をかけてもらう。 スポーツ店が、脚に冷却スプレーをかけもらったのも嬉しい。

 峠越えは、森林浴を楽しむように心がけた。 豊かな自然の中、これを楽しまないのはもったいない。 しかし一方、制限時間も気になり始めた。 残りの計算をすると、キロ10分でぴったり14時間の制限時間となった。 今は、もうキロ10分では走れていない。 ということは、峠越え後の下りで挽回しなければならないのだが、果たして、それだけの力が残っているだろうか。 90キロ過ぎに、また、登り坂があるのである。

 やがて、カーブのところにエイドがあって、そこでは、何人か横になって休んでいた。 寝ているようでもある。 余裕あるな、と誰かが言っていたが、私も走思った。 もう、ゆっくり休憩する時間があるとは思えなかった。 ここのエイドの係りの人が、「あと2.4km」と言っていたのには、がっかりした。 峠まで、あと、1キロちょいくらいかも、と思っていたからだ。

 気が付いたら、今まで、エイド以外では、止まったり歩いたりしていなかった。 とっとこのHPで掲げている「歩かない、止まらない」を実践していたのだ。 タイムは遅くても完「走」を目標にしようかと思ったりした。 しかし、この「2.4km」を聞いて、厳しいと思った。 登りを歩かないと、下りが走れない、と感じた。 どららの相方さんの忠告どおりだ。 

 1歩、2歩、3歩、歩いた。 やっぱりと思って、引き返し、また走った。 でも、やがて、このレースを「完走」するため、最善の選択をした。 つまり、歩いた。

 前方の道に倒れているランナーがいた。 これは、大変かも。 すぐに、「大丈夫ですか」と声をかけたら、受け答えはできた。 次に来た人が、「救援頼みましょうか」というと、「もう、頼んだ」と答えた。 携帯電話を取り出していたので、何とか、自分で連絡を取ったようだ。 大会本部の連絡先を登録していたのだろうか? えらい! 1分くらいで、看護婦さんが車を運転して来られた。 「気分悪くなった?」とか声をかけて、私と、次に来たランナーで手を貸すと、何とか、自力で後部座席に乗れた。 すぐに車は出発し下山していった。 意識もあったので、大事には至らなかったと思うが、なるほど、携帯電話が役立つんだなと思った。 何しろ、ここは、人家のない、山の中なのである。

 走りながら、いや、歩きながら、今年で10回目の完走になるというランナーと話をした。 今大会、10回完走すると、「デカフォレスト」といって、表彰されるのだ。 何としても完走したいということや、これから先のコースのことなどを教えてもらった。 他の人と話をしていると時間はすぐに過ぎるもの。 峠の頂上には、もう? っておもうほど早く着いた。

 本当は、見晴らしを楽しみ、峠の頂上で感慨に耽りたかったのだが、「完走」をより確実にすることを優先し、すぐに下り始めた。 80キロ地点で、残り3時間20分あれば、残りキロ10分で間に合う。 実際、それより、10分速く通過したことで、完走は、何とかなるだろう、と目算がついた。

 下りは、下りで、きつかった。 親指が剥がれる感覚がして、自重せざるを得なかったので、ここでも、がんがん抜かれた。 

 85キロの看板を見落とし、やがて、秩父から来る道にぶつかる。看板に「←三国峠」とあって、とっても懐かしく思った。 今から、24年前、東京・飯能・秩父・三国峠(中津川林道)・野辺山経由清里行き、総計1日で168kmの自転車旅行をしたことがある。 あの時に通った道にでたのだ。 あの旅行で見た、野辺山の夕陽ーー これがこの大会を選んだ動機でもある。

 やがて、千曲川沿いの遊歩道へ。 この川は、新潟県で信濃川と名前を変える日本一の長い川、そう、中学の陸上部時代に走ったことのある、あの新潟の信濃川の土手につながっていると思うと、何か、縁を感じた。 一日、極限的に身体を動かすと、とても感傷的になってくるようだ。

 87キロのエイドでは、おむすびと味噌汁をいただいたが、ふと、横を見るとうどんがあったので、こっちがよかったかな、と思ったりした。 ただ、「完走」を確実にするため、たっぷり時間を取れなかったし、無理に食べて、腹を壊してもいけない。 着替えポイントであるが、面倒で着替える気がしない。

 残り13キロ。 残り時間は、2時間28分だった。 普段なら、13キロは、1時間もかからないのだが、今は、まだまだ、これから、ハーフマラソンをするより長い時間が必要なのである。

 このあたりで再会したグラスさんと話しながら併走したりして、90キロ地点までは、走る。

 しかし、90キロからは、登り坂があり、走ったり、歩いたりの繰り返しになった。 あと電柱3つ分走ったら歩こう、あそこの電柱からまた走ろう、とか、やっていたら、同じように電柱を目印に、走りと歩きを繰り返しているグループがいて、みんな考えるこ同じなんだな、と思った。 丁度、夕暮れ時になってきたが、曇りがちで、あの日のような夕陽は見れなかった。 次第に寒さを感じるようになる。

 残り5キロからは、1キロごとの看板がある。 残り4キロあたりから、ゴール会場のアナウンスが聞こえる。 ひとりひとり名前が紹介されるので、どららの相方さんがゴールされたのがわかった。

 沿道の応援のあるところは、走ったが、また、人気がなくなると歩いた。 残り、3キロぐらいから走る人も多くなったが、私は、ひとり歩いている感じになった。 ラスト1キロを走るために。

 1キロの看板からは、ゴ^ールまで走った。 せめて、ランナーとしての意地だ。 比較的力が残された腕を使った。 
 


最後の直線


 ラストの直線では、思わず、涙で目が濡れた。 よく、諦めないで、ここまで走ってこれたと。

 ゴールは、ひとりひとりアナウンスされ、また、テープも張られている。 1位でないのに、完走者全員がテープを切れるのは嬉しい。 特大のメダルを掛けていただく。 すばらしい感動のゴールであった。


★ まとめ

 タイム的には、こんなに走れないとは思っていなかったが、フルマラソンでは味わえないような、大きな感動があった。
 ウルトラマラソンでは、根源的な生命力みたいなものが、結果になるのかな、と思う。 速く走る技術は、全く役に立たない。

 エイドで休みすぎたことが、タイム的にはマイナス要因だったと思う。ただ、胃腸に自信がなかったので、ゆっくり噛んで、ゆっくり休んで、を優先した。 結果、87キロのエイドでも、おむすびを食べることができ、この選択は間違えていたとも言い切れない。また、75キロ過ぎまで「歩かない」というとっとこポリシーにこだわったことが、結果的にはマイナスだったと思われる。 このあたり、ウルトラの「戦術」があるかもしれない。
 
 ウルトラマラソンを専門にやるつもりはないが、1年に1度くらいは、また、挑戦したいな、と思っている。

距離 通過タイム ラップ 通過順位 コース
〜 スタートライン 0:02:01 - - 南牧村社会体育館 標高1355m
〜 5km 0:32:30 0:30:29 - ほぼ平坦
〜 10km 1:06:11 0:33:41 618 登り始める
〜 15km 1:43:51 0:37:40 - 10〜23キロまで未舗装の林道
〜 20km 2:16:07 0:32:16 452 20キロ手前 標高最高点1908m
〜 25km 2:50:48 0:34:41 - 下りの砂利でこけて擦り傷と突き指
〜 30km 3:23:15 0:32:27 428 アップダウン
〜 35km 3:49:08 0:25:53 - 35キロエイド 10分の休憩
40km 4:35:36 0:46:28 450 下る
〜 フル通過点 4:56:01 - - 松原湖付近
〜 45km 5:14:37 0:39:01 - 下る トイレ休憩あり
〜 50km 5:46:22 0:31:45 467 50キロエイド 標高最低点 883m
17分半の休憩
〜 55km 6:43:43 0:57:21 - 登る
〜 60km 7:24:05 0:40:22 514 58km 折り返し
〜 65km 8:07:25 0:43:20 - 登る
〜 70km 8:57:28 0:50:03 535 だんだんきつく登る トイレ休憩あり
〜 75km 9:36:53 0:39:26 - もっときつく登る タイムは計測間違い?
〜 80km 10:29:56 0:53:01 447 79キロ 馬越峠 標高1621m
〜 85km 11:09:34 0:39:39 - 一気に下る
〜 90km 11:55:04 0:45:30 472 87キロエイド 7分半の休憩
〜 95km 12:39:03 0:43:59 - 最後の登り坂
〜 100kmゴール 13:21:43 0:42:40 465 南牧村社会体育館 標高1355m

通過順位は、男女計
85キロは見落とし、87キロ地点をもとに予測計算