2006.07.28 富士登山競走 完走記

 サブスリーを達成するまでは、と封印していたことが、2つありました。 1つは、富士登山競走、もうひとつはウルトラマラソンです。 富士登山競走参加は、いわば、サブスリーを達成したことに対する、自分に対するご褒美でもあるのです。

 登山競走には、興味があっても、「専門」でやるためには、時間もお金もかかります。 平地の都会人にとっては、年に一度の「お楽しみ」ということで、気楽な気持ちで臨みました。

 たまたま、小学5年の息子のYOHと、今年で3年連続となる、富士登山の約束をしており、レース前の土日曜で富士登山をして、高山慣れの予備練習としました。 (その時は、YOHの調子が悪く、本八合目で、登頂断念となりましたが。) その他は、坂練習も、何ーにもしないで、ぶっつけ本番でした。

 前日午後出発。宿は、大会本部の紹介の旅行会社に申し込んで、明見温泉(あすみおんせん)というところです。相部屋で、同志の方々と、いろいろと話ができて、楽しかったです。

 4日前から、2日前まで、ランは完全3連休とし、前日、夕方、食事前に30分、超スロージョグ。 宿から、会場の市役所まで往復しました。 ねらい通り、脚ハ軽−く仕上がっていました。 疲れさえ取れていれば、完走はできる、という思いがあり、前日のジョグで、これは、いける! と思いました。

 本来、大会前日は、全く走らない主義ですが、今回は相部屋ということもあり、少し身体を使っていたほうが眠れるかな、ということで、ジョグをしました。 これは、結果的に正解で、前日は、よく眠れました。

 朝食は、5時からということで、私にとっては、かなり早い起床でした。 会場入りも、みんな早いんだよね。 宿からバンで送ってもらえるのですが、最後のほうの組でも、6時半前には、着いてしまいました。 (スタートは、7時30分)

 トイレの混雑は、3000人規模の大会としては、標準的なところでしょうか。 次第に晴れて暑くなる気配に、飲まなくちゃ、飲まなくちゃ、 と、自販機を探しましたが、会場の市役所の敷地内に見つからず、ちょと、外に走りにでてGETしました。 前日の準備不足ですね。 失敗。

 今回は、初挑戦ということで、気負いがなく、のんびりしていました。 そのため、開会式の市長さんのお言葉まで聞いていました。 実際、そのころ、多くのランナーは、少しでもいい位置を取ろうと、続々と、並んでいたんですね。 出遅れたため、かなり後ろのほうになってしまいました。 失敗その2。 30分前には並ぶ。、というのが正解かと思います。 もっとも、前年の完走者は、若いゼッケン(今回は1から675)が与えられ、前のブロックに並べますので、その場合は、さほど頑張らなくてもいいと思います。

 富士登山競走で、持ち物をどうするか、迷う人も多いと思います。 ウェストバック1つというんが、多数派で、7割くらいでしょうか。 中には、ボトルをつけていたり、ウエストバックではなく、リュックサックにしていたり、という人もいました。 
 私の場合、どうしたかというと、お金以外、何も持たず、です。 ランシャツ、ランパンでいつものレーススタイルです。 ただし、富士山はトイレも有料ですし、どうしても、食べ物飲み物が必要な事態に備えて、千円札を2枚、小さなビニール袋に入れて、パンツの脇にはさみました。 ビニールにいれたのは、もちろん、汗でぐちゃぐちゃにならないためです。 これは、大正解。 とにかく時間内に完走できるかどうかという厳しいレースであるなら、なおさら、少しでも速く前に進むことを優先すべきかと思います。 軽い給食ポイントは、6合目にありましたし、山頂付近が寒いといっても、せいぜい東京の真冬並み、20分も下山すれば、春秋の暖かさになります。 今回は天気がよかったせいもありますが、ウインドブレーカーなどは、全く不要と感じました。
 シューズについても、先輩の忠告に従い、いつものマラソンシューズ、私の場合、ミズノのウエーブエキデンです。 砂地のところでは、すべり易さを感じましたが、序盤のロード部分の重要性を考えると、やはり、いつも履き慣れているマラソン・ロードレース用のシューズというのが正解かと思います。 ただ、底がフラットでない場合、小石がはさまるなどの可能性があるかもしれません。 ウェーブエキデンはフラットですので、問題はありませんでした。

 高山対策で、唯一、工夫したのが、スタート前に、バッファリンを服用したことです。 えっ、ド^ーピング? さて、どうでしょう? まあ、私のような一般ランナーなら、問題ありませんね。 実は、5日前の子供との富士登山で試していたのです。 強すぎる効果を恐れて、小児用を服用しました。(10歳位レベル) 効果は、4時間半くらい持続するようで、私はいつも富士登山で頭痛がしていたのですが、その時も今回も、頭痛を避けられました。 今回は、下山中に痛くなったので、ほんとに、効果は4時間半なんだと思いました。


 話をレースに戻します。 午前7時30分。 いよいよ、待ちに待ったスタートです。 標高770m 富士吉田市役所前。 「絶対、完走するぞー」という掛け声に、ランナーが「オー」と答えているようでしたが、後ろ過ぎて、よく聞こえなかったというのが、現実です。

 スタートラインまでは、歩いて、1分06秒。 最近のレースでは、前のほうに並ぶ癖がついていたので、こういうのは久しぶりだな、 何だか、レースに出始めたころは、これが当たり前だったんだっけ、と少し懐かしい気分になりました。

 まあ、1分06秒なら、それほどのロスでもないのですが、スタートラインを越えても、前を行くランナーがつっかえて、なかなか思うように進めません。 左、右、また背中にぶつかりそうになる。 ふと見ると、歩道が速いランナーのバイパスのようになっていたので、そちらに乗りましたが、やがて、そこも詰まりだす。 「馬返しまでの位置取りが完走のポイント」と、諸先輩からきいていたので、次第にあせり始めました。 富士吉田市内は、「いってらっしゃーい」という沿道の応援も多く、もっと楽しい気分で走れればよかったのですけどね。 その時は、「こうやって、遅いペースにはまって完走できなくなるのか」という思いがでてしまいました。

 富士浅間神社の脇から、森林の中の舗装道を登ります。 さて、気分を落ち着かせて、ここから、一人一人捕らえていけばいい。 基本的には、ハーフマラソンを走っている感覚、力の出し具合でいきました。 確実に、まわりより少し速いペ^ースで登っていけましたし、余裕度も確認しながら、いい感じではありました。 やはり、事前に休養充分で、脚が軽く、これなら大丈夫なはず、という感覚でした。
 早いうちに、3ケタ番号のランナーに囲まれる位置まで行きたいな。 何しろ、前年、完走の人たちですから、そのペ^ースに乗っていけば完走できるはず、と思っていました。 ところが、抜けども、抜けども、なかなか3ケタ番号が現れない。 たまーに落ちてくる人がいたけれど、やはり、スタート位置を取り戻すのは、たいへんなようでした。

 38分42秒で、初の給水ポイント、中の茶屋に到着。 給水所では、全般に水のほか、スポ^−ツドリンクが置いてあり、ほとんど私は、ほとんど、スポ^ツドリンクにてを出しました。 さて、ここまで登ってきて、すでに汗はびっしょりです。 ここから、アスファルト舗装に別れを告げ、コンクリのような、割れ目の多い路面とないました。 馬返しまでは、きれいな舗装道と誤解していたので、ここで、急に走りにくくなり、気持ち的にも、リズムが狂い始めました。 次第に勾配も急になり、ずーと追い越しモードできていたのに、馬返し直前では、逆に抜かれるようになってきていました。 3ケタ番号に追いつくどころではありません。、 登山競走は、自分には向いていないのか。と思ったりしました。

 馬返しし。 1時間03分48秒 標高1450m。 第一関門で、時計が置いてあります。 完走の目安が、1時間08分ですから、まあまあいい感じできているな、こいうことで、ひと安心しました。

 馬返しを過ぎると、今まで、みんな走っていたのが、申し合わせたように、みんな歩きだしました。 確かに、ここから、登山道ではありますが、何も、こんなにみんなして、人が変わったようになることないじゃないの。と思いました。 なるべく少しでも、平らなところは、小走りするようにしたら、再び、追い越しモードになりました。 まだまだ、どんどんいけそうな気がしましたが、みんな歩いているからには、完走にためには歩かないと持たないのか? と思って、少し遠慮しました。(笑)

 もっとも、私の場合、脚が短いので、歩いてばかりだと、少しずつ遅れだしてしまうんですね。 走りを入れることによって、追い越しモードが維持できました。 また、歩きと走りは、微妙に使う筋肉が違うので、これを交互に、うまくミックスさせていくことが、富士登山競走にコツかもしれない、と思いました。

 馬返しから、五合目までは、森林の中の登山道で、気分よく進めました。 途中、三合目の給水所は。1時間25分56秒。 三合目前後で、3ケタ番号のいっちゃん、次に、M島さんに追いつきました。 「この流れでいけば、完走できるよ」とのベテランM島さんの言葉に一安心。 一緒にいこうかと思いましたが、「上(の記録)を狙う人は、どんどん行ってー」と背中を押される言葉をいただき、先に進みました。
 後日、いっちゃんからは、「随分、最初、抑えていたねー」と言われましたが、そんではありません。 スタート位置が後ろだっただけで、早く追いつこう、追いつこうと思って、進んでおりました。

 五合目直前に、一旦、アスファルト道にでます。 こういうところ、100mほどの短い距離ですが、しっかり走れることが、大切かと思います。 やがて、第二関門、五合目は、1時間58分35秒 標高2250m。 完走の目安2時間07分に対して、かなり余裕が広がりました。 ここからは、次第に高木が減り、やぶのような感じになってきます。 道も狭く、「追い抜きにくい」ときいていましたが、カーブを利用したりして、何とか、少しずつ、抜いていけました。

 六合目2時間11分06秒。 六合目は、給水のほか、給食もあるようでした。 私の場合、給食には興味がないので、何があったか、記憶が定かでありませんが、あめのようなものも、あったようです。 

 さて、ここ六合目からは、河口湖スバルラインの五合目からの登山道と合流します。 一般の登山者が最も多いルートですが、今日は、富士登山競走ということを知ってか、やはり、少なめの人手だったと思います。 一般の登山者の方からも、「がんばれ」と声をかけていただき、気合いを入れ直し、「すごいね」の声を聞くと、ゆっくり歩くわけにはいかなくなります。 さて、六合目から七合目は、樹木がなくなり、視界が開けた、ジグザグ道になります。 砂地で、滑り易いのですが、少しでも平らな箇所では小走りを入れて、たまに、カーブでを大きく切れ込むことによって、ここも追い越しモードを維持できました。 子供達と登山をした時は、この区間、単調で、まだかまだか、と思うのですが、今回は、もう終わりなの、って感じで、七号目到着となりました。 

 ここから、岩場となります。 七合目花小屋には、2時間33分03秒 標高2700m。 しばらく、山小屋銀座という感じのところで、少し登っては、山小屋があり、また、次が見える、というようになっています。 山小屋の前の平らなところは、貴重な、走れるところです。

 この岩場の東洋館の手前あたりで、このレース初めて、呼吸が荒くなってしまいました。 標高2900m付近で、初めて、高山の影響がでてきたようでした。 それでも、すぐに収まり、やがて、リズムに乗れてきました。 八合目太子館には、3時間03分08秒標高3050m。 ただ、八合目といっても、関門があるのは、本八合目、まだ、30分も先です。

 「4時間切れますかね」−−「これから頑張ればね」 というような会話が、周りできかれました。 私としても、少し欲がでてきて、目標を時間内完走(4時間30分以内)から、サブフォー=4時間以内に引き上げつつありました。 しかし、そのためには、ここから、もう一段、ペースアップしなければなりません。

 太子館を過ぎると、岩場はなくなり、再び、砂と石のジグザグ道になるのですが、ここで、急に、一歩一歩が大変になっているのに気がつきました。 一段ペースアップは無理だな、とあっさり、サブフォーは、諦めました。 それどころか、ペースダウン必至という感じになってきました。 このあたり、何度も登山をしていたので、山小屋の名前も覚えているほどです。 あと、どのくらいで、八合目関門があるのか、しっかりわかっていたので、とにかく、ゆるめず、一歩一歩、前へ前へ、を心がけました。 まわりの流れに、何とか遅れずに付いていった区間です。

 第三関門、八合目関門、本八合目、富士山ホテル前。 3時間33分42秒 標高3360m。 完走の目安3時間51分からは、17分18秒、関門閉鎖の4時間00分より、26分18秒早い通過でした。 毎年、そして、今日も、多くのランナーが、頂上も目前に、この関門で下山を強いられたかを思うと、まずは、ラッキーでした。 あとは、時間内完走か、時間後完走のどちらかです。

 しかし、ここに来て、ダメージが大きく、山小屋の前の平らな部分でも、なかなか走る気にならなくなってきました。 確か、本八合から山頂までは、一般の登山の本では、1時間だったよなあ、とすると、一般の登山とり、ちと早いペースで歩けばいいのか、でも、今の状態では、危ないかも。 と消極的な気分が支配してきました。 (後で調べましたら、一般的には、この区間の所要時間1時間30分とありました。)

 八合五尺3時間43分22秒。 九合目 3時間56分33秒。 この間が一番大変でした。 頭がもうろうとして、しばらく立ちすくんだりする時もあったりました。 ここで、ぶっ倒れたら、迷惑かけるな、と思うと、足を止めざるを得ませんでした。 また、意識がはっきりすると、とにかく、一歩、一歩、一般の登山者よりは、やや早く、しっかり! と進んでいきました。 ランナーには、次々抜かれましたが、あまり気になりませんでした。 順位より、時間内完走だけが、目標となりました。

 いつの間には、空気はひんやりとして、恥ずかしいことに、大量の鼻水が出ていました。 それも、しばらく気がつかないくらい、ボーとしていました。

 九合目から、30分の余裕があったので、これは、止まらなければ大丈夫だろうと思うと、やや、元気がでてきました。 やがて、山頂の人声が聞こえてくると、また、元気に。

 「あと100mですよ」 「そこの鳥居までです」という声を聞いて、ヨーシ。 「オールスポーツが写真を撮っていますよ」の声に、最後の力を振り絞り、階段を走る! が、残念、笑顔にしたいのに、顔がゆがんでいるのが、どうにも直りません。

 鳥居を過ぎて、いよいよ感動のゴール と思い気や、あと50mありました。 この50mが長かったこと! 鳥居までって言ってたじゃん、正確に言ってよ。とぶつぶつ思いながら、 再び歩いてしまいました。

 それでも、ゴールの瞬間は、バンザイのポーズ。(ここは写真を撮らないみたいだけど)
 4時間13分33秒でした。 標高3720m。 (富士山の高さは、3776mですが、それには、剣が峰というところまで登っていかなければなりません。)

 ゴールル後は、動けず、ボーと立っていたら、目の前にM島さん、そして、いっちゃんがゴール。 私が13分台、M島さん14分台、いっちゃんが15分台でした。 序盤で、ピョンピョンと抜いてきたのに、最後は相当詰められ、あやうく、うさぎと亀の関係になるところでした。

 M島さんたちは、さっさと下山してしまいましたが、私は、しばらく山頂の感動を味わっていたいと思い、山頂小屋で、カレーうどんを食べました。  ランパンにはさんできたお金が生きたわけです。 いつもフルマラソンの後など、胃腸の状態が悪く、何も食べる気がないのですが、今日は、とてもおいしくいただきました。

 下山では、宿を知り合った方と話をしながら、約1時間半で、河口湖スバルライン五合目におりました。 靴の中砂だらけになりますが、下山は、思ったより楽でした。 五合目からは大会のバスで富士吉田市役所、そして、解散となりました。


 富士登山競走を経験して、本当ニ面白いと感じました。 序盤のロード、中盤の山道、終盤の高山、 自分の得意不得意を見極めながら、ペース配分を考えて進む。 マラソン以上の頭脳プレイだと思いました。 
 来年以降も、時間の許す限り挑戦していこうと思います。 まずは、サブフォーに挑戦です。

距離 通過タイム ラップ コース
〜 スタートライン 0:01:06 - 富士吉田市役所
〜 中の茶屋(給水所) 0:38:42 0:37:36 舗装道路
〜 馬返し(給水所・関門) 1:03:48 0:25:06 コンクリ道
〜 3合目(給水所) 1:25:56 0:22:08 森林の中の山道
〜 5合目(給水所・関門) 1:58:35 0:32:39 森林の中の山道
〜 6合目(給水所) 2:11:06 0:12:31 低木の中の山道
〜 7合目(花小屋) 2:33:03 0:21:57 つづら折の砂道
〜 8合目(太子館) 3:03:08 0:30:05 岩場
〜 本8合目(富士山ホテル・関門) 3:33:42 0:30:34 つづら折の砂道
〜 8合5尺(御来光館) 3:43:22 0:09:40 つづら折の砂道
〜 9合目(鳥居) 3:56:33 0:13:11 つづら折の砂道
〜 ゴール(山頂) 4:13:33 0:17:00 つづら折の砂道