2006.08.27 北海道マラソン 完走記
夏の北海道でサブスリーができたら、正真正銘のサブスリー。 それを達成したら、制限3時間の防府や豊橋にエントリーしよう! と、自分でエントリー資格を作り目標としました。 自分に足りないもの、それは、走行距離だ。 ということで、6月は、初の400km超となる、432kmを走り、効果が2ケ月後にでるのを期待しました。 走行距離が増えた分、スピードは落ち、6月下旬から7月上旬は、気温の上昇のせいもあると思いますが、キロ4分430秒が、今までの感覚で4分00秒くらいに感じるまで、走力を落としました。 しかし、それは折込みずみで、7月下旬の富士登山競走のころから、走力が上がり始め、8月10日の34℃炎天下のランで、真冬に比べ、キロ5〜10秒落ち位になった感触を得ました。 8月11日から14日までは、家族と中国上海に家族旅行。 ここで、一休みを取って、一段とレベルアップの予定でした。 ところが、その旅行で、おいしいものをたらふく食べたせいで、下痢を起こしてしまい、帰国後2日目から、喉が痛むなどの風邪の症状が加わり、結局、7日間も休むことになりました。 ラン再開後の走力は、また、振り出しに。 キロ当たり20秒位遅い感覚となっていました。 急ピッチで立て直すべく、8月21・22日は、連続15キロのハイペ^−ス走をしたのですが、走力は幾分回復したという感覚は得たものの、今度は、大腿内側の筋肉を傷めてしまいました。「筋肉痛」といえる程度の軽症ですが、これを治すべく、薬局ですすめられたアミノバイタル(粉)を飲んだところ、おそらくそれが原因で、前日午後に軽い下痢をおこしてしまいました。 下痢は、一回性のものでしたが、そんなこんなで、全く自信が持てない状態で、サブスリーは絶対無理、3時間10分を勝敗ラインとして、あわよくば、3時間8分21秒の、自己コースレコードの更新を目標にしました。
荷物を預け、コール代わりのマットを踏んで、いざ、スタート会場の真駒内競技場へ入ります。 ここで、仮設のトイレに長蛇の列だできていますが、競技場のトイレの列に並んだのが、正解でした。 並んでいる間、ほとんど、日陰でしたし、手を洗うところがあるので、そこで、手で水をすくい、頭からかけました。 実は、前の人がそうしていたので、真似てみたのですが、再び競技場の炎天下に戻っても、涼しさを感じることができました。 北海道マラソンのいいところは、過去2年半の実績タイム順にゼッケンがふられ、その順にスタートすることです。(陸連未登録は、登録の後ろになってしまいますが) 私は、昨年の500番台から、400番台になって、少なからず嬉しく思っていました。 来年は、もっと若い番号をGETするように、と1年間の目標にもなります。 そういう性質の番号だからこそ、並び順は、絶対に守ってもらいたいもので、現にほとんどの人は、守っているのですが、私が見えた範囲で、3名ほど、大きな番号の人が前に並んでいました。 昨年は、声に出して違うでしょ、と言っって注意したのですが、今年は、そうすることで、スタート前に自分の心が動揺してしまうのが嫌だったので、黙っていました。 フェアでない人は、競技者として、失格だぞ! と声を大にしていいたい気持ちです。 さて、スタート後は、高温ということもあり、とにかく、42,195キロという距離を走りきれる感覚でいこう、余裕を持って、余裕を持って! と進んでいきました。 まわりからどんどん抜かされますが、気にしない、気にしない、です。 2キロ過ぎくらいでしょうか、下痢で体調不良の髭さんに追いつかれ、髭さん:「キロ4分30秒くらいですかねえ」。 私:「4分50秒くらいかな」 という会話をしていることろへ、チャコさんが追いついてきました。 「5分過ぎているよ」という声に、髭さんも私も、「やばい」 −− 髭さんは、さっさとペースアップして、先に消えていきました。 1キロト2キロの表示を、今年も見落としていたので、本当かな? と半信半疑だったのですが、3キロ地点で時計を見ると、15分30秒(@_@) 去年、下痢で絶不調だった時より、遅いじゃないですか。 我ながら、このペース感覚のなさに、あきれはてて、しばらく唖然としてしまいました。 来年への反省点 = 1キロの表示を見落とさないこと! まあ、過ぎてしまったことは仕方がない、レース終盤なら、このタイムの失速はましなほう。 失速を前取りしただけだから、まだまだ、大丈夫。 これから、キロ4分30秒をちょい割りペースでいけば、3時間10分は、取れるぞ、と気持ちを整理しました。 下り坂に入って、さあ逆襲だあ。 と思ったのですが、前に人がいてなかなか進めません。 気がつくと、まわりのペースにはまっています。 道の左が街路樹で日陰になっていて、そこをランナーが走っているんですね。 日向部分はすいているので、走りやすくて、抜かせる。 日陰を選ぶか、ペースを選ぶか、で、左右行ったりきたり、 いかん、 これはロスだ、 こんなことで消耗したら、ますます、ドツボにはまるぞ。 やばい。 結局、日向のバイバスを選ぶことにして、もう、何も考えず、ロスの走り、自分の走りに集中することにしました。 キロ4分30秒をちょい切るペースで、うまく坂を下れていました。 10キロ通過は、47分15秒。 11キロあたりで、いっちゃんと並走して、話しました。 いっちゃん:「このペースでいければいいんだけどね。 絶対落ちるよ。 僕は今日は、3時間20分」。 私:「ゴールで待っている息子に、3時間10分で行く」って言っちゃったんdすよ」 いっちゃん:「ああ、それなら、がんばらないと」 やがて、いっちゃん」:「さっきから、前に大江戸(飛脚会)の女性が見えるんだけど」 私:「誰だろう。すえこさんかな」 結局、この大江戸の女性を確認すべく、いっちゃんと離れ、前を行くことにしました。 正解は、すえこさん。 ピンポンでした。 無理をしないペースで、20キロ通過は、1時間32分03秒。 ここで、もうひとりの大江戸女性を発見。 みらくるさんでした。 もうすでにきつそう。 暑さにまいっている様子で心配でした。 ハーフが、1時間37分くらいでしたので、後半速くしないと、3時間10分にいけませんが、この時点では、やる気満々。 それどころか、あわよくば、キロ4分20秒くらいでいって、コースベストを! なんて計算もし始めました。 22〜23キロが、キロ4分15秒に上がり、その計画も現実的か、と思われましたが、すぐに、4分25〜30秒に逆もどり。 25キロを過ぎて、第1と第2の折り返しのある、追分通は、日陰が全くなく、日干しにされて消耗していく感覚に、負けてきました。 ペースも4分30秒ちょい切るペースから、ちょい上回るペースになってしまい、30キロ通過が、2時間17分07秒。 目標の3時間10分には、残り約53分かあ、キロ4分30秒だと2分届かないなあ。 まあ、やれるだけのことは、やってみよう。 30キロ過ぎに、右折して、方角が、南に変わったったことろから、さらなる試練が加わりました。 やや強めの向かい風です。 暑いんだから、風もいいだろう、というより、マイナス面の多い抵抗。 ああ、そうだったのか、今まで、まあまあ走れてきたのは、追い風だったからかあ、と思うと、先行きの厳しさを覚悟しなければなりませんでした。 気がついたら、のっぽのランナーさんと、前傾のランナーさんと、私の3人が、周りより速いグループとして、走っていました。 お互いに無言のまま、意識しあい、私が前に出ると、のっぽさんが追いついて来て、その勢いで前に出る、追いついてきた分スピードがついているから、今後は、こっちがきつくて離されそうになるけど、また、がんばって、追いつき、追い越すの繰り返しでした。 周りからは、突出して、速い感じになっていましたが、絶対的な速度は、キロ4分40〜50秒に落ちていました。 35キロあたりで、のっぽさん、続いて前傾さんをふり切りました。 さあ、昨年の大失速の始まった35キロ地点です。 同じ悔しさは、絶対、繰り返したくない。 ここから先をしっかり走るため、はるばる北海道まで来たのだ! 絶対、後悔しないように、と心に決めました。 練習の20キロ走で、15キロまでキロ4分で飛ばし、あと5キロがめちゃくちゃきつい時があるけど、その感覚。 何のために練習してきたのか。 を思い出し、脚は、道具、道具。 いけいけ、と気持ちを切らさないようにしました。 前方に大江戸ユニの人が見えてきたのは、いい目標になりました。 すえおさん、かわやん、と近づいては、追いつき、追い越すことができました。 ピンクにオレンジは、本当に目立つなあ。 北海道大学の横の道、去年は、力尽き、一歩一歩がやっとだったことに比べれば、今年は、全力で走れていました。 それを思うだけで嬉しくて、脚の痛さも、乗り越えられえられました。 37キロ過ぎて、あと5キロ! 再びギアチェンジしました。 が、どういうわけか、1区間、キロ5分超。 でも、次が、4分30秒ちょいでしたので、距離表示がおかしかったのかもしれません。3時間分10秒は無理でも、3時間15分は超えないぞ、という目標ももって走れていました。 40キロ通過、3時間03分37秒。 いよいよクライマックス。 2年前、自己ベストをだした時も、ここから先、大失速しています。 大通り、すすきの、 この道を、過去3年間、本当ニ元気に走れたことはありませんでした。 それが、今年はできています。 こう思うと、ちょっと、感動でした。 このあたりで、ある白シャツランナーさんと、デッドヒートとようになりました。 やっぱり、お互い無言のまま、絶対負けないぞ、と出たり入ったり。 40〜41キロのペースは、4分25秒に上がりました。 41キロ過ぎ、もうひとりの大江戸ユニが見えました。 りゅうさくさんです。 格上のりゅうさくさんに先行できるなんて、これが最後か、と思いました。 競走していた白シャツさんから、逃げろ、逃げろという気持ちで、全力走。 41〜42キロは、キロ4分14秒で、今回のレースで最速の区間となりました。 中島公園にはいると、路面が変わり、途端に走りにくくなりますが、ここでも、前へ前へという気持ちでいきました。 20メートル程前の黄緑シャツランナーさんに目標を定めて、ゴールまでに追いつくぞ! と。 結局、黄緑さんを追い抜き、さらに、ラストスパート。 自分の子供の見ていると思うので、もうひとり抜いて、バンザイのゴールとなりました。 ゴール後、最後に競走した白シャツさんから、「おかげで、しっかり走れました」と言っていただき、嬉しかったです、 こういうのって、いいですね。 ゴールタイムは、3時間12分59秒。 今年最低のタイムでしたが、最後、失速しなかったので、満足度としては、上々でした。 2年前、当時自己ベストの3時間08分21秒を出した時は、男子総合415位。 今回は、303位でした。 フェアウェルパーティに参加した人の情報では、完走率52%だったようです。 過去最低が2001年の61.3%でしたから、それを、大幅に更新する厳しい条件だったのだと思います。 技術面としては、最後1ケ所を除いて、全給水所で、しっかり飲んだことに加え、スポンジをフル活用したことがよかったと思います。 私は、通常、スポンジはウェアを重くして好きではないのですが、今回は、スポンジのある箇所では、いつも、頭の上から水を搾り出してかけました。 このことは、かなり有効だったようで、最後まで暑さを感じず、走ることができました。
|
距離 | 通過タイム | ラップ | コース |
〜 スタートライン | 0:00:05 | ー | 真駒内競技場 |
〜 5km | 0:25:01 | 0:24:56 | 上り 下り |
〜 10km | 0:47:15 | 0:22:14 | 下り |
〜 15km | 1:09:38 | 0:22:23 | 下り |
〜 20km | 1:32:03 | 0:22:25 | ー |
〜 中間点 | 1:37:03 | ー | ー |
〜 25km | 1:54:22 | 0:22:19 | ー |
〜 30km | 2:17:07 | 0:22:45 | 折り返し2回 |
〜 35km | 2:40:34 | 0:23:27 | ー |
〜 40km | 3:03:37 | 0:23:03 | 街の中心へ |
〜 ゴール | 3:12:59 | 0:09:22 | 中島公園へ |