2009.12.13 国際青島太平洋マラソン 完走記
「青太(アオタイ)、街へ」というキャッチフレーズのこの大会。 昨年から、宮崎市の目抜き通りを通るコースに変更された。 開放的な青島周辺の海岸線と併せて、リゾート型とシティ型が融合された素晴らしいコースである。
自分のとって、サブスリーに挑戦資格とし心に決めている、5キロ19分切り、10キロ39分切り、15キロ60分切りは、直前2週間の練習で走れることが確認できた。 3週間前の大田原、6週間前のしまだ大井川の2つのマラソンが、スタミナ練習になっている。 1週間前の所沢ハーフは、力を温存して、素晴らしいペース走になった。 機は熟した。 それでも、総合的な走力を考える時、サブスリーの達成は、すべての条件が完璧に揃ってようやく勝負できると思っていた。 宮崎空港から会場まのサブマリンスタジアム前まではタクシーで20分程度。 運転手さんと話をしたが、「コースが街に行くようになってよかった。 回る道はいくらでもあえるから」と言ってくれた。 市民あげての歓迎ムードに嬉しくなる。 早速、前日受付をすませてから、スタート地点・ゴール地点・トイレや貴重品預け場所を確認。 これはとっても大切。 明日はホテルを出たところから勝負が始まる。 それから、ゴール地点から、荷物を背負ったまま、逆走して、振り向きながら、勝負どころのコースを確認した。 距離表示の看板はもう出てたので、大切な1キロ地点も確認。 結局、41キロ、40キロ、そして39キロ表示まで行った。 ここは、32キロから34キロあたりのコースとも重なる。 34キロと39キロの橋の坂を確認。 実際この坂がどこまで続くのかがわかっているかいないかは大きな違いだ。 結局、ホテルまっでの約5キロを、写真を取りながら、立ち止まりながらのジョグになった。 身体が、だいぶほぐれてきて、これはプラスになったと思う。
6時起床。 宿泊した、ホテルグランティア青島太陽閣からは、「青島バームビーチホテル前」からの路線バスで行くのが穴場で、すいていて座れた。 1時間に1本くらいだから時間を確認しておいた方がいい。「運動公園前」下車。 会場は徒歩5分。 スタート1時間30分前に着。 早速、貴重品を預け(無料)、他の荷物は、スタート近くのスタンド下に放置を決め込む。 スポーツバック等の荷物は、1つ500円預けられるが、500円がもったいないというより、スタート地点から距離があることが問題で、パスした。 トイレは、野球場常設もののだけ。 全種目1万2千を超える参加者で、そろそろ限界か。 仮設トイレを用意して欲しい。 待ち時間は、20〜30分程度。 天気は晴れ。 気温は、9度とアナウンスされていた。 結局、ゴール後は18度と言っていたから、気温面では、ぐんぐん上がっていくという、あまり良くないコンディションだった。 開会式で、市民ランナーであり今日もフルマラソンを走る東国原県知事が、「最後の折り返してから今日の風はアゲインスト」と言っていた。 北西よりの風、強くもなく弱くもなく吹いていた。 コース終盤の海岸線。 普通の風は強風に、強風は突風になるに違いない。 37キロ地点でぎりぎりだと持たないな、と思い、やや前半型のレース展開をイメージした。 基本、0〜16キロが向い風、16〜37キロが追い風、37〜42キロが向い風だ。 30分前から整列開始。 25分前には行って、最前列から3列目を確保。 まずは、ここまで、第一関門クリアでほっとする。 そして、大切な1キロポイント。 前日、チェックしていた表示は、しっかり見落とさない。 (以下、写真は、前日または翌日、撮影したもの)
1キロ、4分02秒。 うっそー、速すぎ、でもきっと距離表示がおかしいのかとも思う。 やや、抑え気味に。 公道に出て、風船を付けたミズノランニングクラブの3時間ペースアドバイザー(2人 以下単にペースランナーという) に抜かれる。 やっぱりね。 そんなに速いはずないよ。 しかし、早くもペースランナーに大きく遅れるわけにはいかないので、付かず離れず、後ろから行くことにする。 右折して坂を登り、国道220号線=南宮崎バイパスに出る。 中央分離帯には、ワシントニアバーム(ワシントンヤシ 葉が上だけ付いた高木)が植えられ、南国ムードいっぱいだ。 片側2車線道路で、信号もほとんどなく高速道路のよう。 自然と気分よくなる。 風は前方方向から吹いていたが、さほど走りの邪魔にならなかった。 1〜2キロは、キロ4分16秒、ちょうど3時間ペースだ。 途中、坂があったし、よしよし、いいペースと思う。 いつの間にか、ペースランナーと並んで走っている。 ペースランナーは有り難くもあるが、一緒に走っていると、いつ、付いていけなくなるのか、と不安になる。 過去の自分のレースでも、ペースランナーには、次第に前方に去っていくイメージしかない。 そこで、思い切って、前に出た。 自分のペースで走りたかった。 まだ、前半だからだが、膝のバネをスポンジのように感じながら、いい感じで走れていた。 どこか、一点の筋肉に負担をかけないよう、柔らかく、柔らかく、というイメージを大切にした。 キロラップは、4分05、06,09と進み、距離表示が間違えているんだろうと疑っているうちに、本当にその速さで走ってしまった。 5キロ通過、20分38秒(ラッ20分27秒) 5キロ通過は、驚異的なハイペースだ。 大撃沈・大失敗レースの序走になるのだろうか。 不安はあった。 しかし、最終盤の逆風を考えると、当初の予定ハーフ1時間29分00秒より速めに突っ込んでよいと判断した。 それに、5〜9キロは登り坂で、自然とペースが落ち付いた。 もっとも、登りといっても、気持ち数字が落ちる程度で、脚に大きな負担がかかるものではない。、アオタイはやはり高速コースだ。 10キロ通過、41分49秒(ラッ21分11秒) 大淀川にかかる橘橋を渡る。 高低図では急坂にみえたが、それほどでもなく無事通過。 そして、いよいよ宮崎市街。 通りの名前は、橘通りとなる、途中、距離合わせにため、右折して、宮崎県庁前の通りに入って、最初の折り返し。 県庁前の道は、1車線ずづ走路で狭くて走りにくい面もあるが、応援は最高。 しばし、目標タイムのことも忘れ、この街を走っていること自体が嬉しくて、涙が出そうになった。 なお、この区間、見落としたのかもしれないが、おそらく、コースの関係で距離表示がない。
15キロ通過、1時間02分57秒(ラッ21分08秒) 3時間ペースに1分03秒の貯金だ。 いいぞ。 16キロ地点で、宮崎神宮前折り返し。 ここから、風は無風に感じる。 しばらく、無理なく走っていていい感じと思っていたが、あれっと思ったら、ペースランナーの集団がうしろに来て、あっと言う間に飲み込まれてしまった。 えっ、そんな? ペース落ちてるの? 1キロごとの表示を確認できなかったので、一気に不安になる。 6週間前の島田も、このあたりから大きくペースが落ちたのだ。 こんなこところで、振り落とされたら、わざわざ、遠路、宮崎まで来た甲斐がない。 そこで、一度、振り落とされそうに集団にできるだけ付いていくことにした。 今日は簡単に諦めない! コースは、再び宮崎県庁前の通りに入って折り返し。 20キロ通過、1時間23分54秒(ラッ20分57秒) ここで、とんでもないドジをした。 時計を止めてしまったのだ。 1週間前の所沢でも同じ失敗。 しかしこんな大切な大会でやってしまうとは。 こんなことじゃ、自分には高機能時計は使いこなせないかもしれない。 ペースランナー2人が、20キロ通過の時間を見て、「少し速かったな」と話して、明らかにペースを下げた。 やはり、この5キロは距離表示がなかったのだろう。 キロ4分10秒に上がっていたようだ。 無理もない。 もし、自分が4時間のペースランナーを頼まれたとして、キロ5分40秒と5分45秒の違いが体感としてわかるかと言われれば、わからないだろう。 3時間のペースランナーにとって、キロ4分10秒も4分15秒も体感として同じなのだと思う。 でも、こっちは大きな違い。 キロ4分10秒から4分15秒に落ちたことで、急に楽になった。 集団で走るのは苦手だ。 自分は、リズムを感じやすいタイプだ。 周りとピッチやストライドが微妙に違うとストレスになる。 だから、ここで、再び、前に出たかった。 でも、待て。 ハーフまで我慢しよう。 そこで、ペースランナーに時間を聞こう。 そこでリスタートした自分の時計との差を計算しよう。 ハーフ通過 ペースランナーに時間を教えてください、と予め頼むが、そんなことしなくても、時間は大きな声で言ってくれる。 1時間28分30秒台! シナリオ通りだ。 いいぞ、理想の展開。 心の中でニコッとする。 リスタートした自分の時計との差を計算しようとしたが、正確に計算しなくちゃと思っているうちに頭が混乱して数字を忘れてしまった。 以降、グロスタイムがわからないまま、走り続けることになる。 このあたりで、ペースランナーさんに、サブスリー達成まで、禁酒していることなどを話した。 隣のランナーは、3時間00分台でゴールしたことなどを話していた。 自分は「今、すごく、楽に感じます」と言った。 体感は、そのとおりだったからだ。 ペースランナーさんは、「2時間29分くらいで行きますから、背中が見える位置でゴールすれば大丈夫ですよ」と言ってくれた。 これは、付いていけなくなっても、最後まで諦めないで、というメッセージだ。 大きな、大きな、メッセージだ。 25キロまでは、登り坂基調で、最近、自分は下りよりも得意としている。 これも、富士登山競走やそのためのトレイルランの成果だろうか。 もっとも、アオタイの坂はたいしたことない。 気持ち、登っているなという感じである。 この得意な登り区間で、無理に抑える必要はない。 ペースランナーの前に出た。 しばらく、1キロごとに、「4分13秒です」とか、「4分18秒です」とか言う声が聞こえていたが、25キロを過ぎて、次第に聞こえなくなった。 こうなったら、どんどん逃げるしかない。 やがて、、ペースランナーに追いつかれるだろうが、それが、どこか、が問題である。 残り5キロまで逃げられたら、あとは、根性でも何でも付いて行こう。 背中が見える位置ならOKなのだ。 1分貯金があるんだ。 残り5キロなら、大丈夫。 でも、その前なら、まずい。 一気に抜かれて、そのまま行かれたら、気持ちも体も付いていく自信がない。 だから、今のうちに、逃げろ、逃げろだ!! 30キロまでは、往路の逆方向、バイパス道を気持ちよく走れた。 沿道に、女子高校生と思われる集団が並んでハイタッチを求めてくる。 みんな笑顔で明るい。 こちらも、それに応えてタッチ。 天気は晴れて、気温上昇を感じた。 風は追い風で、体感は無風。 給水所で、アクエリアスを飲む他、水を頭からかけた。 来るべき終盤の決戦に向けて、気合いを入れる意味もある。 30キ通過 正確なタイムはわからなかったが、1キロごとのタイムは取っていたので、1分ちょっとの貯金があることは確実だと思った。 残りキロ4分20秒を貫けばセーフ、25秒ならアウトだ。 他レースでは、ここから、順位を数えて粘ることもあるが、今日は、タイムオンリー。 30キロ以降、何人抜いたのか、または、抜かれたのか、全く記憶がない。 バイパスに別れを告げ、運動公園に入り、スタート・ゴール会場のすぐ近くを通過する。 路面に変化が心配だったが、さほど気にならなかった。 しかし、ペースは4分21−15−28秒と、確実に落ちていった。 1回だけ、ペースランナーが近づいているかが心配で、後ろを振り返った。 見えなかった。 34キロから、前日にチェックしていた橋「トロピカル ブリッジ」を越えて、いよいよ浜辺添いのトロピカルロード(舗装された遊歩道)へ。
景色もよく、開放的な気分で走れることろである。 が、気持ちはそれどころではなくなって来た。 ペースが、いつ、がくって落ちるか心配だったのだ。 マラソンは、走った人ならわかると思うが、落ちる時は、一気である。 キロ4分40秒あたりまでは、すぐに行ってしまう。そうなったら、キロ5分もあっという間。 気を確かに持って、筋肉を意識して、ここからは、ビルドアップしていくように追い詰めていかなくてはならない。 青島には、縁結びの神様の青島神社があって、橋で渡ることができる。 その橋の前が折り返し。 折り返し500m手前あたりから、上の写真(右)にあるような、タイル状の舗装になる。 この路面の変化は、事前に知っていて心配していたが、それほど影響なし。 そして折り返し。 37キロ。 風は、予想通り、正面ややななめから受けるようになった。 それでも、うんと頑張らなくては進まないというほどではない。 これなら問題ない、と思った。 ペースランナーにはすぐそこまで迫られていた。 でも、ここまで、逃げらられたということで、希望が持てる。 37キロから数100mで、ついに、ペースランナー集団に吸収された。 こちらは追いつかれたほうだから、そのまま行ったら、あっという間に置いていかれる。 そうはさせまいと、ギアチェンジ。 風除けにペースランナーの背中にぴったりついたら、少し楽になった。 反対側の走路のランナーから、「サブスリー、頑張れ!」と声がかかる。 ランナーの多くが目標とするサブスリー、その意味が、同じ走る仲間、わかっているのだ。 ありがたい。 39キロ過ぎの最後の登り坂。 この坂は、前日にチェッチェック済み。 ペースランナーの前に出て、「最後」とつぶやいて、一気に登った。 わずか、高さは8mほど。 登り坂は得意なのだ。 が、橋を登り切ったところで、くらくらっときた、ふらふらになった。 立て直すのに時間がかかり、ペースランナーに再び抜かれた。 今度は、下り坂で、付いていくのが精一杯。 思わず、喘ぎ声が出てしまった。 もう、なりふり構わずず、付いていくしかない。 残り3キロで、サブスリーの大魚を捕り逃すなんて、嫌だ。 40キ通過 「残り9分40秒」とペースランナーさん。 「ぎりぎりだな」と声に出してしまったら、隣のランナーがギアチェンジして先に行ってってしまった。 キロ4分25秒からセーフだが、30秒ならアウトの状態だ。 ここまでの5キロより状態ははるかに悪くなっていたので、心底ぎりぎりだと思った。 (実際は、残り4分50秒あり、これなら、幾分楽な気持ちだっと思うが) 「このまま行けば大丈夫ですよ」、「あと8分の我慢」、「脚を上げて!」と、ペースランナーさんに何度も声をかえてくれた。 ありがたい。 とにか必死で付いて行った。 このあたりから、15分遅れでスタートしたハーフマラソンノのランナーに追いつき、フルのランナーより多くなって、走りずらくなった。 41キロ手前で、ぶつかりそうになって走路変更した時は、くらくらと来た。 40〜41キロまで、キロ4分19秒。 大丈夫、と前向きの気持ちになったが、このあたりから、前を行くペースランナーとの距離が開いて行く。 過去4回のサブスリーでは、41キロ地点で、ほぼ達成を確信し、そろそろ感動モードに入っている頃だが、今日は違った。 離れていくペースランナーに、自分の身体は限界点に達していた。 もう、ここまで頑張ったんだから十分かな、と弱気の自分が出て、緩みそうなる。
陸上競技場の横を通って、サンマリンスタジアムの周り4分の3でゴールだ。 スタジアムの外周走路に入ると、ひときは元気な女子高校生(たぶん)がタッチを求めて来るが、もう、応える余裕はない。 最後の力を振り絞って、ラストスパートに入るが、この外周がとても長く感じる。 とにかく、先にいるペースランナーが見える位置で! もしかしたら、この1秒、この1秒が命運を分けるかもしれないと思った。 横から、「残り200m、2時間59分!」と声がかかる。 やっぱりぎりぎりだ。 顎があがった走りとは、このことか。 苦しくなると、顎があがる。 が。もう、見てくれも何もあったもんじゃない。 ゴール前では、ペースランナーがスピードを緩め待っていて、最後の気合いの言葉をかけていた。 ゴールラインには時計があり、見たら、わけのわからないタイムが表示されていた。 優勝者のタイムで止まっているのか? それともハーフマラソンの時間か? だから、ゴールの瞬間、喜んでいいのかわからなかった。 全力を出し切って、しばらく倒れ込んでから、ペースランナーさんに聞いた。 間にあっているのかと。 「59分30秒台ですよ」との答え。 やったー。万歳。 すべてが報われた瞬間だ。 「ありがとうございます」と言って、嬉しさのあまり、思わずペースランナーさんに抱きつきたい気持ちになった。
完走証発行コーナーで、記録証を見たら、「2時間59分27秒(ネット同26秒」 けっこう、余裕があったことがわかった。 完走証係の女子高校生(たぶん)に「この2の数字のために1年間やって来たんだ」って言ったら、一緒に喜んでくれた。 後で計算したら、41キロ以降は、キロ4分09秒ペース。 自分が遅れたように感じて焦ったが、実ははペースランナーが速くなっていたのだ。 いずれにしても、いろいろ声をかけ励ましていただいた、2人のペースランナーさんには、感謝に気持でいっぱいである。 |
距離 | 通過タイム | ラップ | コース |
〜 スタートライン | 0:00:01 | - | サンマリンスタジアム前 |
〜 5km | 0:20:38 | 0:20:37 | 国道220号を北へ |
〜 10km | 0:41:49 | 0:21:11 | 国道220号を北へ |
〜 15km | 1:02:57 | 0:21:08 | 宮崎市街 県庁前を通り、宮崎神宮折り返し |
〜 20km | 1:23:54 | 0:20:57 | 宮崎市街 再び県庁前を通る |
〜 中間点 | 1:28:37 | - | 国道220号を南へ |
〜 25km | 1:45:11 | 0:21:17 | 国道220号を南へ |
〜 30km | 2:06:22 | 0:21:11 | 国道220号を南へ |
〜 35km | 2:28:12 | 0:21:50 | トロピカルロード(海岸沿いの遊歩道)へ |
〜 40km | 2:50:10 | 0:21:58 | 青島神社の橋の前で折り返し |
〜 ゴール | 2:59:27 | 0:09:17 | サンマリンスタジアム前 |