2010.02.14 いわきサンシャインマラソン 完走記

 記念すべき、第1回 いわきサンシャインマラソン。 前日までの雪もあがり、名前のとろい陽光降り注ぐ、いい天気になった。 まずは、ほっ。

 いわきは、実に23年ぶり。 その時は、夏の休暇を利用して、東京から、本州最東端・再北端を経由して札幌までの自転車8日間走破の、第1日目の宿泊地だった。 東京(練馬区)−いわき間は、距離にして200kmを越える。 1日に走った自己最長距離である。 翌日は、疲れも感じず、仙台まで150km。 あの頃は、力が有り余っていて、もしマラソンに夢中になっていたら、サブスリーなんで問題にしなかったのだろうなと思う。

 この大会は、2月の貴重なフルマラソン、第1回大会、ダウンヒルの高速コースということで飛びつくように申し込んだ。 しかし、よくよく分析すると、確かに出発点のほうが終着点より標高が40m程高く公認ぎりぎりの有利さはあるが、途中でこぶがいくつもあり、決して高速コースでないことが分かった。 特に、中間点過ぎの標高40mほどの急な上り下りが、タイムを狙う上での障害になると思った。

 2週間前の新宿ハーフで、4年ぶりに1時間25分を切り、その後も、練習で、10キロ39分切り、5キロ19分切りと、自分がサブスリー挑戦のためのノルマと課している水準をクリアし、1週間前のみさとはハーフで、1時間25分台で走れば、準備OKとなるはずだった。 ところが、そのみさとハーフで、予想外の不調、1時間27分16秒に終わり、その2日後には、10キロでキロ4分が維持できない程まで、悪化した。 やむなく、レース前、ランニングを4連休とし、休養だけを頼りに、そこそこの走りをすることを目標とした。 ただし、前日は、身体をほぐすためのジョグ2.4kmを実施した。

 ホテルで朝、起きた時、軽い喉の痛みと片方の鼻が詰まっていた。 風邪気味の状態である。 まずいな、さらに、状況は悪化しているように思えた。

 駅から無料シャトルバスで会場のいわき陸上競技場前へ。 トイレは、待ち時間10分程度。 事前にゼッケンは送付されるのでありがたいが、プログラムとTシャツの引き換えコーナーは、10分待ち状態だった。 荷物預け用の袋をもらわなければならないので、これはパスできない。 更衣室として、隣のいわき総合体育館が使えるのは助かる。 荷物預けは、処理が追いつかず、若干、混乱があった。 時間は改善を望みたい。

 フルマラソンのエントリー数は、男子3,141人、女子541人、計3,672人 制限時間6時間。

 「8時現在(多分8時と言っていたように思う) 気温氷点下1.5度」とアナウンスされた。 しかし日照のおかげで、それ程かなと思った。 後で調べたら、ゴール時には、6度まで上昇していて、終始、寒さは感じなかった。 ただし、足先の凍り感は、10キロ地点まであって走りにくかったが。

 参加人数の少なめ、低温のため早く並ぶ人が少なく、楽々と前まら5列目の位置を確保した。 Mattsat2さんがいるはずとキョロキョロしたが、見つからなかった。

 

 9時00分、スタート。 スタートラインまでは02秒。 今日は、自分の身体の様子をみながら、ゆっくりめに行った。 1キロ手前から下り坂に入り、無理なく下った。 

 1キロ通過は、「4分00秒」! おや、速い。 距離が違うのか? 隣でベテランランナー2人が話していた。 「予定通り、キロ4分!」 と。 間違いないみたい。

 続いて上り坂。 結構、アップダウンあるな、と思う。 それより何より、驚いたのが、沿道の応援だ。 この日を待ちに待ったかのように、家から出てきて声援をおくっていただいた。 こういう瞬間は、ランナー冥利に尽きる。 涙が出そうになる。

 いわき市には、城下町の平と港町の小名浜の2つの中心部がある。 今、走っているのは、平から小名浜への道。 決して賑やかなところではないのに、この応援。 きっと、静かなところを走るんだろうな、と想像していただけに、嬉しい、嬉しい、できごとだった。

 2キロまでは、また登り坂。 事前に見ている高低図ではわからない勾配を感じる。 結構、きついな。 ここで、マスターズ陸上でたびたび顔を合わせる福島県在住のYさんに、「やあ」といった感じで、ニコッと声をかけられる。 Yさん、ぐんぐんに先に行ってしまった。 私より若干年長であるが、1500mや5000mでは、届きそうで届かないワンッランク上の力を持っているランナーである。

 1キロから2キロは、4分18秒。 この登り坂で上出来である。 ここで、色気が出てきた。 これって、もしかして、サブスリー、行けるんじゃないのって。

 2キロ〜7キロは下り坂。 ここで貯金を作る。 いわきでサブスリーを取るなら、と考えていた作戦は、ここで1分の貯金を作る。 ハーフ直後の丘越えで30秒使うから、ハーフまでに1分30秒の貯金が欲しい。 30キロ地点で1分の貯金、これが、サブスリーのシナリオだ。

 2キロから下り坂に入り、よおしっと、蹴りを入れた。 2〜3キロまでは、4分05秒。 ここまではよかった。 しかし、次が4分15秒、4分12秒。 急坂が終わると、依然として下っているにもかかわらず、何だか、登り坂のように感じる。 ふと視線を道端に向けて、傾斜を確認した。確かに下っていた。
 
 5キロ通過、220分53秒  
 
 何とか合格ラインだが、次の1キロも4分15秒かかった。 そして、次が、何と4分32秒。 いくらなんでも、距離表示がおかしいか、とも思ったが、次も4分28秒。 ここで、現実を理解し、サブスリーを諦めた。 この時点の見限ったのが、後から考えると、大正解だった。 無理に数字を追ってペースを作って、あと数キロ行ってしまったら、手遅れになったかもしれない。

 7〜10キロまでは、3つの小さな丘越えがあるが、これも、予想よりも勾配があった。 決して、高速コースじゃないなと思った。

 10キロ通過、42分32秒 (ラップ21分39秒)  

 しばらくすると、目の前が開けて、海岸通りに出る。 ここは、わあっといった感動。  風もほどほどで、この季節としては、ベストコンデションに近いと思う。 ペース的には、4分20秒ペースにはまり出していたので、このまま行こうと決めた。

 15キロ通過、1時間04分29秒 (ラップ21分57秒) 

 16.5キロで第一折り返し。 Yさんは快調に飛ばしていた。 さすがだ。 風の様子は、折り返してもあまり変わらない。 しかし、ペースは、4分25秒あたりに落ちていった。 このあたりでも、応援は多く、「世界記録出せー」と子供がありったけの声を出していたのは、微笑ましく楽しい気分になった。

 20キロ通過、1時間26分46秒 (ラップ22分17秒) 

 中間点通過、1時間31分39秒
 
 22キロ前後で、このコース最大傾斜度の坂を登り下りする。 案内図に「三崎公園」とあったので、公園内の道路かと想像していたが、片側1車線の車道だった。 登りは得意なんだい、と元気に登っていったが、やかり、坂の途中から、だらだら走りになってしまった。 最高点は、マリンタワー横で、きっと、見晴らしがいいのだろう。 このコースを考えた人は、その景色を見せたかったに違いない。 ところが、私は、坂を登るのが精一杯で、ろくに海側を見ないで、坂の下りに入ってしまった。 もったいないよね。

 下り坂は、初めに強めに蹴りを入れてのそ勢いで行くのコツだと思っている。 今日もそれを実践。 頑張らなくても、自然にまかせるだけで、面白いようにランナーを抜いていけた。

 かなりスピードが出ていると感じていたが、22〜23キロは、4分45秒。 明らかに表示がおかしい。 その前、20〜21キロが平地で3分59秒だったから、これと、チャラか。

 距離表示が不安定で、自分のペースがわからなくなって、混乱した。 平地になると、さっき、下り坂で抜いたランナーに、次々抜き返された。 今日は、よほど、調子が悪いのだろうか。 次の1キロも4分44秒。 このまま行けば、間もなくキロ5分超えになって、3時間10分も守れないぞ、と不安になった。

 道は、小名浜港の倉庫街を縫うように走る。 25キロ付近で、ゴール会場の小名浜アクアマリンリンパーク付近を通り、多くの声援をいただく。 路面は、タイル状になったり、木製風になっていたりして、曲がりが多く、鉄道の引込み線もあり、やや、走りずらい区間でもある。

 ペースがわからなくて、混乱していると、25キロと26キロの表示を続けて見落とした。 27キロ通過が、1時間57分53秒で、頭の中で、現在の立ち位置を計算しようとしたが、うまくできない。 しかし、感覚的には、このあたりから、追い越しモードになっていて、悪くなかった。

 30キロ通過、2時間11分52秒

 ここで、ようやく自分のペースがわかる。 私は、時間というものがないと、一歩も走れないランナーなのだ。 ようやく、マラソンの世界に戻ってきた。 30キロ通過の、3時間ペース、3時間10分ペースは頭に入っている。 このまま、キロ4分30秒で行って、3時間6分台ぎりぎり。 しかし、ペースはすでにかない落ちているので、これは難しい。 目標タイム3時間7分〜8分台に設定した。 

 ここからは、海岸通りを離れ、小名浜臨海工業団地を内陸側に入って行って、34キロ付近で折り返し戻ってくる。 その間に標高差25mほどの丘超えがある。 

 坂の傾斜は、中間地点後の坂と違って、私にはちょうどいい感じ。 気持ちも、前向きに、攻めの姿勢になっていたので。難なく登れた。 続く緩やかな下りは、自分でもよく走れているって感じた。 力をMAXに持って来るのは、残り5キロになってから。 それまでは、ためを作る感覚で走らなければならないが、それもうまくいっているように思えた。 実際、30キロ以降のキロラップは、4分36秒ー4分33秒(ここまでが登り)−4分18秒ー4分25秒(下り)といった具合で、目標タイムを3時間6分〜7分台に上げた。 完全に追い抜きモードになっている。 ところが、次の34〜35キロ(f再び登り)が、5分18秒で、夢が砕かれた。 調子がよくなったと思ったのは、錯覚だったのか?

 距離表示に誤りがあると思ったので、次の1キロで取り戻すと期待したが、4分28秒で、がっかりした。 再び目標タイムを、3時間7分〜8分台としなければならないか?

 そんなに1キロごとのタイムに一一喜一憂しても仕方がないですよって、みんなに笑われそうだと思う。 確かにそうかもしれない。 けれど、次の1キロ、次の1キロって走るのが、自分のやり方なのだ。

 36キロからは、もう登り坂はない。 最初の下り坂、36〜37キロは4分11秒。 さあ、ぐんぐん行こう、と思っていた頃、不意に34キロ地点で抜いたはずの、黒Tシャツの上に上下青のランシャツ・ランパンのランナー(以下青シャツさんと呼ぶ)に抜き返された。 30キロ以降は、だれにも抜かれなかった、と完走記に書きたいと思っていたので、適当な距離を置いて、青シャツさんを追うことにした。 最後の最後までに、逆転するぞと。

 残り4キロあたりで、距離調整のための折り返しがあり、いよいよラストの、海岸通り、工業地帯の直線路へ。 しかし、ここに来て、目標にしていた青シャツさんの背中は、遠ざかって行った。 ちょっと格上のランナーだったようだ。 37〜38キロラップは、4分15秒。

 残り3キロで、時計オを見て、3時間6分台に、目標を上方修正。 38〜40キロは、8分36秒、

 40キロ通過、2時間56分33秒

 34〜35キロの5分台というのは、やはり距離が明らかに長かったとしか思えないが、その分、どこで取り戻しているのか、取り戻していないのかは不明である。 陸連公認コースであるから、本来の残タイの距離は正しいはずだと思うが。

 49キロ地点のタイムを見て、目標を3時間5分台に、再々度上方修正。 ギアを入れたいと思うが、すでに身体はMAX状態になっていて、ペースは上がらないない。

 それでも、ラストスパートだけは決めて、

 ゴールタイム、3時間05分52秒

 ゴールゲートでは、ひとりひとりに首飾りをかけてくれる。 「うれしいー」と思わず、声を出した。 完走証は即時交付。 ネットタイムは、通過タイム付きは、後日送られてくるということである。

 ゴール後、Yさんに再会。 あれ程、調子よさそうだったのに、後半歩いて、、私と同じく3時間05分台だった。 スピードランナーにありがちな撃沈パターンだった。 中間点は、1時間23分で通過したそうだ。

 いわきサンシャインマラソン。 期待以上に声援が多く、楽しく走れた。 今回、私としては、ピークがずれていて残念だった分、また、挑戦してみたいコースだと思う。

距離 通過タイム ラップ コース
〜 スタートライン 0:00:02 - いわき陸上競技場前
〜 5km 0:20:53 0:20:51 平から小名浜へ 下り傾向
〜 10km 0:42:32 0:21:39 小さな丘を2つ越え
〜 15km 1:04:29 0:21:57 海岸通りを北上
〜 20km 1:26:46 0:22:17 折り返して 海岸通りを南下
〜 中間点 1:31:39 - 海岸通りを南下
〜 25km 1:49:15 0:22:29 三崎公園・・マリンタワー横の急坂を登り下り
〜 30km 2:11:52 0:22:37 小名浜港を南下
〜 35km 2:35:03 0:23:11 小名浜臨海工業団地・内陸方面に丘越え
〜 40km 2:56:33 0:21:30 折り返して帰路に丘越え
〜 ゴール 3:05:52 0:09:19 小名浜港アクアマリンパーク
25キロ看板は見落としのため、24キロと27キロ地点のタイムから計算
35キロ地点は、200m程、後ろにあったと思われる。
(その分、どこが短かったか、どこも短くなかったかは不明)