2011.02.06 別府大分毎日マラソン 完走記
ある朝、毎日新聞の朝刊を読んでいた妻から、「別府大分毎日マラソンの募集が出てるよ」と聞いて見て、驚いた。60回大会ということで参加資格を2時間50分から大幅に緩和して3時間30分にし、女子の参加を認めるというものだった。カテゴリーは3段階で、公認記録2時間30分以内ならカテゴリー1、公認記録3時間以内ならカテゴリー2、公認と未公認3時間30分以内ならカテゴリー3となる。カテゴリー2までは全員出場可、とあった。私は、2008年の青島太平洋の2時間59分27秒の記録が生きているので、カテゴリー2で走れるのだ。即時に出場を決めた!実は、大会1週間前の勝田全国マラソンのフルにエントリー済みだったが、別大は、60回記念ということで今年が最初で最後かもしれない。もったいないけど、勝田はDNSとした。 1年に1回はサブスリーを目標にしている私は、2011年のサブスリーは、この絶好の舞台で達成しようと目標を定めた。2010年の秋は水泳練習を取り入れたため走行距離が伸びず、いまいちの展開だったが、11月28日の小江戸川越ハーフで1時間24分57秒を出して、さあ、いよいよ乗って来たぞ、という感じになってきた。ところが、その後、12月5日の奈良マラソンではピークをはずし3時間08分24秒と不発、12月23日の足立フレンドリーハーフでは、油断からペース配分を間違え大失速しまさかの1時間29分56秒、そしてその日に左足首を痛め、走り込みをするはずだった正月休みは、一歩も走れなかった。この休みですっかり走力を落とし、1月9日の谷川真理ハーフでは、必死に90切り勝負をして1時間29分47秒、2週間後の千葉マリンハーフでは1時間28分08秒まで回復したが、直前の練習でも5キロ20分切りがやっとという状態で、冷静に見て、予想タイム3時間08〜11分、どんなによくても、今年度最高の2010年5月の洞爺湖マラソンの3時間07分21秒かというレベルだった。 受付会場は別府のビーコンプラザ。駅から1.3kmはジョグした。ここでモンゴルさん、ねこさん、なおきむちさんらの知り合いと遭遇し、心がなごんだ。せっかくだから、かつて別大で世界最高を出した寺沢徹さんと、谷川真理さんのトークショーも聞いて、ここの出店で夕食を済ませてから、電車で大分市内の宿泊ホテルに向かった。 窓をあけると晴れ、風の弱そうだ。絶好のコンディションと言えそうだ。 宿泊した大分ワシントンプラザホテルは、39.7キロ地点のコース沿いにある。スタート会場への無料バウが出るゴール会場の大分市営陸上競技場まで、レース終盤をイメージしながらジョグした。最後の舞鶴橋の傾斜をチェックしたが、この位ならたいしたことないな、なんて思ったりしながら・ バスに乗って約25分、スタート会場の「うみたまご」に着いたのは、スタート1時間50分前。カテゴリー2の特権である「おさる館3階」に行き、まずは場所を確保。ちなみに、カテゴリー1だと2階の広いスペースが使え、逆にカテゴリー3と女子は、おさる館には入れず、道の向こう側のテントとなる。 時間がたっぷりあったので、ゆっくり、ゆっくりストレッチを開始し、まだまだ時間があったので外に出て、4キロほど、超ゆっくりのジョグをした。ここはコースとしては折り返しての17〜18キロ地点に当たるので、そのイメージを思い浮かべた。海沿いの歩道は気持ちよく、風も両方向ともほとんどないと感じ、この季節としてはぽかぽか暖かかった。 おさる館内のほかに外にも仮設トイレがあり、1時間前にはフリーだった。最後、30分前にはいっせいに用を足すのでさすがに列ができていたが、これも5分程度で問題がなかった。ゴール会場向けのトラックに荷物を預けるが、ここも列はなし。整列も前日に1人1人の位置が示された図が配られているので、急ぐ必要がない。 普通の大会なら、スタートまでが勝負、ということで、トイレ・荷物・整列に神経を使い、ウォーミングアップはできないものだが、今日は、走るための準備に集中できた。これで、走り始めの体感が全く別のものになった。 整列は、ゼッケン順のプラカード位置に並ぶ。ゼッケンは、持ちタイム順なので、隣のランナーに「2時間59分ですよね」などと話しかけて、しばしおしゃべりができた。10分前ころ、道路に出る。5分前には、後ろから、女子とカテゴリー3が合流。女性の話声で、急に明るくなって、いつものマラソン大会の雰囲気になった。 スタートロス 15秒 自分の前に1000人ちょっとのランナーがいるので、すんなりとはいかないが、押し合い的な雰囲気の中で、ロス15秒は、納得の15秒だ。持ちタイム順に正確に並んでスタート、というのは、私の理想とするスタイルだ。 さて、スタートしてばらけてきたら、ごそっと抜かれる、というのが当初の想定だった。故障した左足首はいまだ完治せず、練習不足の状態で、サブスリーラインの勝負はできるはずがなかったからだ。しかし、いざスタートしてみると、サブスリーの誇りみたいな気持ちが頭をもたげてきた。カテゴリー2(サブスリー)は、ゼッケンの文字も色が青色で、カテゴリー3の赤色とは明確に区別されていた。あまり、ちんたら走っていたら「こいつ本当にサブスリー?」」なんて思われそうな気がしたし、もしかしたら、サブスリー資格で走れるなんて、一生涯でこれが最後かもしれない。そう思うと、それ「らしく」走ってみたい気になって、まずは、流れに乗って、あえてペースを落とさず行ってみることにした。 しばらくして、計測マットがあった。おお、1キロか、と思って時計を見たら、4分21秒。15秒のスタートロスがあったから、ネット4分06秒だ。いくらなんでも速過ぎと思ったら、しばらくして、「1km」の表示があった。4分29秒。これならネット4分14秒だから納得だ。まずは、サブスリー狙いペースで入ってみたということになる。 前後して、水色ユニのねこさんが走っていた。今となっては、ずっと格上のランナーだが、ちょっと、付かず離れず、ついてみることにした。結果からみると、ねこさんは、2時間56分52秒で女子7位だったわけだから、その人と同走していたということは、かなりのハイペースだったわけだ。 その後の1キロごとは、4分07ー13ー09秒と推移した。マラソン3時間は4分16秒だから、まさに、ここでちょっと貯金を作って、というサブスリーのための理想のペースだ。当初の予定からすると完全なオーバーペースだが、それほど無理している体感がなかった。自分流ではないけれど、もうこうなったら行っちゃえ、もしからしたら奇跡が起こるかも・・・(絶対に起こるはずないのだが) ・・・ という気になってきた。 5キロ通過 20分43秒 (ラップ20分28秒) ええっ?目を疑った。何でえ?4〜5キロのラップが3分45秒、これはありえない。5キロの表示が前なのか、と思ったが、次の5〜6キロも4分04秒で、長くない。 実はこの問題は、去年のぐっちゃんの完走記にもあった。2010年にコース変更されたのだが、各地点の表示も去年のままのようだ。 一番ありうる仮説は・・・ この大会は1キロごとに、距離表示の看板を持った人が立っていると共に、路面に白線が引いてある。ところが、初めのうちは、白線が引いてあることに気が付かず、看板を見ていたので、不正確だったというもの。最初の1キロ、実はマットの所が正確な1キロだった、とすれば、キロ4分06秒だったのだから、辻褄があう。 二番目の仮設 実は、0〜5キロは短く、5〜10キロがその分長いというもの。自分の5〜10のラップは、4分04ー07ー12ー04ー16秒だったので、最後の04と16秒はちゃらになっているとすれば、特段長いという感じではない。しかし、男子トップを見ると、5キロごと、14分56秒ー15分32秒ー15分19秒−15分22秒・・・、同じく女子のトップは、18分15秒(20秒ほどスタートロスがあったはずなのに!)−18分18秒ー18分21秒ー18分38秒・・・ となっている。10キロからは逆風であることを考えると、5〜10キロが、前の5キロに比べて時間がかかり過ぎているようにも見える。 三番目の仮設 恐ろしい仮設だが、実は、別大のコースは、全体で80mほど短いというもの。80mの根拠は、4〜5キロの3分45秒を、前後のスピード4分06秒と比較するとその位になるからだ。公認コースだたら、そんな筈ないでしょ、と思われるかもしれないが、去年のいわきサンシャインのように距離が長かったたこともあったわけだし、意外といい加減なものかもしれない。むしろ、テレビ中継されるような大会だからこそ、こそっと折り返し点を直しておくわけにもいかず、次のコース変更がある時まで何もできなくなっている可能性もある。 まあ、三番目の仮設は、ここでベストを出されたランナーには失礼な話だし、ほとんどあり得ないと思ってはいるが、距離表示に関しては、そんな疑いが入らないよう、しっかりして欲しい。別大マラソンに対する私の唯一の不満点は、この一点だけだ。 なお、不満点に関して、RUNNETを見ると、給水が追いついていないという声が多かった。幸い、私の位置では、ぎりぎり間に合っていた。ただ、コップの水量が少ないなあ、と感じることもあり、場所によっては、2杯いただいた。そういうこともあって、後ろのランナーには不足状態にあったのかなとも思う。数の推定を読み間違えたものと思われ、もし、来年以降もこの規模で実施するなら、改善して欲しいと思う。 さて、レースに話を戻す。5キロの表示に戸惑ったんは私だけではなく、まわりのランナーも、しまった、速過ぎたと思ったようで、急にスピードを緩めだした。集団がスローモション状態に見えた。私は、無理にペースを調整するのは、かえって力のロスになると考え、そのままの動きで行った。ここで、ねこさんの前に出ることになった。もうこうなったら、いけいけどんどん、サブスリー狙っちゃえ、という気持ちになった。「今まで、マラソンは練習の結果であり、奇跡はないと思っていたが、別大は違った。」って完走記に書くのだろうか、などと、早まわりの考えまで浮かんで、にんまり状態だった。全く、しょうもないランナーだ。 10キロ手間、別府亀川バイパス折り返し。折り返して、はっとした。向かい風になったのだ。アップの時は風を感じなかったが、風が出てきたようだ。通常、冬型の天候なら、ここから32キロまでは、北西の季節風を受けて追い風になることが多いはずで、だから、別大は高速コースと言われるのだと思う。ところが、今日は、風は東の逆風。どうりで、ここまで、快調なペースだったわけだ。 10キロ通過 41分26秒 (ラップ20分43秒) サブスリーペースに対して、貯金1分14秒。中間点までにもうちょっと貯金を増やし、そこから貯金を下ろして、30キロ地点で1分にする、という構想を描いた。このあたりで、ねこさんには先に行かれたようだ。向かい風を受けて、数字は上がらなくなる。1キロラップは、4分16−16−13−13−13秒。 沿道の応援としては、4キロ地点それから14キロ地点に当たる別府の中心地、北浜あたりが最高だ。大きな声援を受けて気持ちよく走れた。まだまだ、元気、やる気満々だ。 15キロ通過 1時間02分37秒 (ラップ21分11秒) 数字はやや落ちたが、落ち着いた言っていい。サブスリーに対しては、まだ、貯金プラスモードだ。よしよし! ここからの海岸線で、向かい風がきつくなる。気が付くと前方に自然形成された20人くらいの集団がいた。ははあ、これがサブウリー狙い集団だな、と思った。他の大会でもよくあることだ。向かい風が強くなったので、まず、この集団の中に入った。このまま、楽チンしてハーフあたりまで連れて行ってもらおうっと。 17〜18キロあたりと思うが、スポンジがあった。少し刺激を入れようと、取って首からかけて、しまったと思った。冷たい。手袋も濡らしてしまった。気が付いたら、いつの間にか曇り空になっていて、風も逆風。スタート前は暑くなることを心配したが、ここは暖を取ったほうがいい状況だったのだ。 この心が動揺した間に、さっきから付いていたサブスリー集団から置いていかれてしまった。焦ることはない。ハーフまでに追いつけば、と一定の距離を保ち少しずつ詰めるようにと思っていたが、実際は逆に差が少しずつ開きだした。 20キロ通過 1時間24分10秒 (ラップ21分33秒) この5キロ区間、初めてサブスリーペースを超えてしまった。予定より早い失速の開始だ。 中間点 1時間28分52秒 サブスリーへの貯金1分08秒。10キロ通過時点では、もう少し貯金を作ると思っていたのだが、失速が始まっていたので、30キロ地点で貯金40秒、35キロ地点で貯金20秒という構想を立てた。2010年のソウル国際マラソンのパターンだ。 1キロずつタイムチェック。4分18秒はいいが、4分20秒はだめだ。結果は、ハーフ後、4分22−18−22−26秒となり、 25キロ通過 1時間45分53秒 (ラップ21分43秒) サブスリーへの貯金49秒。うーん、ちょっと厳しいが、まだまだ、諦めるのは早い。まだ、プラスなのだ。 コースは、大分市内に入って、27キロ地点、大分川にかかる弁天大橋。この橋の上り坂で、明らかにペースが進まなくなっているのを自覚した。これは確実に4分30秒を超えているな。実際25キロ以降は、4分20−36−22−31秒と推移した。 ついに29キロ地点で貯金がゼロに。せめて、「30キロまではサブスリーペースでいけた」と言えるようにと、次に1キロ頑張ってみたが、キロ4分26秒かかり、 30キロ通過 2時間08分08秒 (ラップ22分15秒) サブスリーペースに借金10秒となったところで、作戦の練り直しをすることにした。今は向かい風できついが、32キロ過ぎれば38キロまで追い風になる。この一点が失速しない根拠。追い風では、キロ4分30秒を少し切るペースを守って、ゴールタイム3時間02分台を目標とした。 そして、待ちに待った方向変換。確かに風に対しては楽になったが、それ以上に身体と脚にダメージが来ていて、イメージ通り進まない。できるだけ失速を食い止めるようにという守りの姿勢になった。元気のいい女子ランナーには何人も抜かれた。30キロ以降は、4分31−42−44−27−39秒。 (相変わらず、距離表示のむらはある) 35キロ通過 2時間30分53秒 (ラップ22分45秒) サブスリーペースの借金は、1分35秒。このペースだと、3時間03分台が勝負だ。現状よりペースを上げることは不可能なので、目標を3時間03分台に下方修正した。 37キロ地点で、弁天大橋を今度は逆側に渡る。得意な上り坂で前を詰め、下り坂でも少しでもタイムを短縮しようと頑張ってみたら、その後、反動がきて、余計に厳しくなった。残り5キロからは、残り距離の表示もあるが、キロ5分を超えないというのが、最低限のラインとなってきた。 38キロからは、再び向かい風。場所は大分市のど真ん中。コースのハイライトだ。自己ベストのような走りをしていれば、まわりの声援を受けて、まさに、ヴィクトリーロードとして気持ちよく走れるところだろう。私はといえば、キロ5分超え(「撃沈」と自分が定義しているレベル)をしないよう、必死に走っていて、あまり、まわりが見えていなかった。 35キロからのラップは、4分37−47−36−52−49秒。 いつの間にか、今朝ジョグした見覚えのある景色となっていて、 40キロ通過 2時間54分34秒 (ラップ23分41秒) このペースだと、3時間04台勝負だ。何としても5分超えを阻止しようと最終目標を定めた。このまま、ずるずる目標を下げていったら、前半の快調な走りが台無しになる。
最後の橋、舞鶴橋、下見の時はたいした傾斜ではないと思っていたが、この状況ではきつかった。橋を超えて左折して、「41km」の看板。2時間59分23秒。さあ、あと5分の我慢。水の中に潜るつもりで、ここからは呼吸が苦しくても我慢していこうと、ギアをあげた。
最後は、競技場のトラック1周。競技場に入ったところで、5分切りは大丈夫と思ったが、弱った頭では計算間違いがあるかもしれない。お得意のラストスパート。最後のコーナーでひとりの女性ランナーを抜き、ホームストレートへ。 さすがに一流の大会。ホームストレートに時計が3つも並んでいて感激した。刻々と進む自分のタイムが明らかになっていく。 ゴール 3時間04分35秒 (ラップ10分01秒) 男子 出走者1808人・完走者1616人中 945位 今年は、60回の記念大会ということで、参加条件が緩くなったが、来年度以降は、私が知る限り、どうなるかわからない。ぜひ、来年も同じ資格要件で実施していただきたい。自分勝手かもしれないが、3時間30分の制限はこれ以上緩めないで欲しい。走ることに集中できる大会環境を維持するのは、これが限界だと思うからだ。 私が、今度参加するとしても、やはり、カテゴリー2でいきたい。それを目標にしようと思う。2010年のソウル国際は一般参加なので公認ではないため、来年の資格を取るためには、今年11月までに、公認サブスリーを取りにいかなければならない。板橋cityか、かすみがうらか、北海道か、新潟シティか、でなければ、最終、大田原ORつくばか、新たな目標ができて、また、やるぞ、という気持ちになっている。 808人・完走者1616人中 945位 終わってみれば、レース前の最高目標だった今年度最高のタイムを2分46秒更新できた。レース展開としては、自分らしくない、突っ込み型ではあったけれど、カテゴリー2で出走した以上、やはり、これでよかったと思う。 「まず、ガーミンによる計測結果です。 5Km地点は正確でした。ただし、4Km地点までの1Km毎が1Kmより少し長く、その4Kmまでの距離の長かった分が4-5Kmで距離調整されるというものでした。 」 別大マラソンの距離は正確であるこがわかりました。ただし、最初の4キ表示までが長いので、惑わされないよう注意が必要です。 |
距離 | 通過タイム | ラップ | コース |
〜 スタートライン | 0:00:15 | - | 高崎山・うみたまご |
〜 5km | 0:20:43 | 0:20:28 | 別府市街 |
〜 10km | 0:41:26 | 0:20:43 | 亀川 |
〜 15km | 1:02:37 | 0:21:11 | 折り返し 別府市外へ |
〜 20km | 1:24:10 | 0:21:33 | 海岸線を大分方面へ |
〜 中間点 | 1:28:52 | - | 海岸線を大分方面へ |
〜 25km | 1:45:53 | 0:21:43 | 海岸線を大分方面へ |
〜 30km | 2:08:08 | 0:22:15 | 弁天大橋で大分川を渡る |
〜 35km | 2:30:53 | 0:22:45 | 方角を変え、大分市外へ |
〜 40km | 2:54:34 | 0:23:41 | 弁天大橋で大分川を渡る |
〜 ゴール | 3:04:35 | 0:10:01 | 舞鶴橋を渡り、大分市営陸上競技場へ |