2011.11.06 成田POPラン 完走記
2週間前のマレーシア、キナバル山の国際クライマソン。登頂は果たしたものの、登りの制限時間に5分19秒間に合わず、DNF扱いとなってしまった。標高4095.2mを体験できたこと、全コース(登り下り)を走破できたことは満足だったが、何とかなると甘く考えていた時間内完走ができず、半分、悔しい結果であった。 10月上旬に、来年2月の東京マラソンの抽選当選通知がきていたので、キナバル山の次の最大目標として、ここでのサブスリーを掲げることにした。そのためにはどうしからいいか。対策は明快。今年3月の東日本大震災以来、月間走行距離が100km台に減っていたのを、300kmまで持っていけばいい。最近の走力低下は、年齢のせいというより練習量のせいだ、と思えるのだ。 ということで、張り切って練習を再開したものの、キナバル山の下山の影響で膝に痛みが残っていた。軽症と判断し、いつも通り走っていたら、3日目の10000mのトラック練習途中で、ふくらはぎにピンとくる痛みが走り中断した。これまでに経験したことのない痛みの種類、無理に走り続けたら脚がポキンと折れてしまうような感覚のものだった。その後、一週間全く走らず、水泳練習で持久力をつなぎ、成田POPランはぶっつけ本番となった。 成田POPランは初参加。日暮里から、昨年開業した成田スカイアクセス線のスカイライナーに初乗車。空港第2ビルから京成成田駅に戻ることにした。会場は、京成成田駅から徒歩約10分。ところが、京成成田駅は、スカイアクセス線上にあると勘違いをしていたので、戻る電車を間違えてしまった。結局、成田湯川駅で降りて、そこからタクシーで会場へ、約3キロ、ということになってしまった。 結果としては、このため、スタート1時間半前には会場に到着できて、たっぷりと時間が取れた。更衣室・荷物預けは体育館、臨時トイレも十分にあった。 ちょっと小走りで走ってみると、脚はまだ完治していないな、という感触があったものの、練習をしていないので軽めな感じだった。それに、天気は曇りで風がなく、暑くも寒くもない絶好のコンディションで、90分切りはいけそうだと思った。ただし、コースは、7キロまでと15キロ以降は、激しいアップダウンありの、ロードとしては難コースう。開会式でも、「厳しいコース」と言っていた。 スタートは陸上競技上の全天候型トラック。スタート前の準備の流れは完璧で、最前列から3列目を確保できた。 スタートロス 0秒 ゲストランナーの一人が那須川瑞穂選手だったので、最初の数10mでも付いていってスピードを体感しようかな、と思ってみたりしたが、とんでもない、号砲とともに、あっと言う間に先に行ってしまった。まあ、これでいい、マイペース、マイペース。 久し振りのロードレースで、いつもに増してペース感覚がわからず、最初の1キロの表示が待ち遠しかった。そして、1キロ通過、4分05秒を確認して、よっしゃーってガッツポーズをしたくなった。理想的な入りタイムだ。 早速、1キロ前後から、緩い下り坂が始まっていた。そこから、しばらく、成田市の住宅街は、アップダウンの連続で、全体としては、下り傾向。ただ、坂の傾斜はきつくなく、所沢シティマラソン(ハーフ)と比べれば、ちょろいもんだ、なんて思った。 2キロまで、キロ4分09秒、続く3キロ地点は交差点のため距離表示がずれていて、4分22秒で、次が4分02秒、4分13秒。理想的なペース。ちょうど前にKさん(女性)を発見。ベテランで絶対に安定した走りをすることが確実なので、しばらく付かせてもらうことにした。このあたり余力があって、実はもっと前に行きたい衝動に駆られたが、Kさんをラインとして、前に出るな!と自分に言い聞かせた。 5キロ通過 20分51秒 (ラップ20分51秒) いい感じである。Kさんは、下りより登りが得意なようで、下りになると、いつも追いつき追い越しそうになっていた。7キロ付近で、今コース最大斜度の下り坂があり、ここでは、どうしても前に出てしまった。しかし、この下り坂の途中から、自分の走りがおかしくなっているのを感じた。うまく、下り坂のレールに乗れないというか、ばらならした感じといいうか・・・ 5キロからのキロラップ 4分24秒(主に登り)、次、4分14秒(主に下り) この坂を下り切ると、ぱあっと開けた田園地帯に入り、15キロ地点までフラットになる。佐倉マラソンの終盤の景色に似ているかな。まあ、佐倉は隣町だからね。 本来なら、このフラットな区間で、走りは安定してペースも上がるはずなのに・・・おや、おかしいぞ、左脚のふくらはぎ・・最後まで持つだろうか・・・持たせるためには・・・・と自重した走りになってしまい、ペースも落ちた。Kさんは安定した走りで前を行き、少しずつ離れてしまった。 7キロからのキロラップは、4分19分、次、4分19秒 9キロ地点で、明確にこれは痛いと感じた。まずいな、これでは、90分は切れない、と思った瞬間から、ガクンときた。 9キロ通過38分07秒 事実上、ここで今日のレースは終わってしまった。 3週間後のつくばマラソンのこと、来年の東京マラソンへ続く道のことを考えたら、ここでリアイアするのが、賢い選択だな、と思った。しまし、この大会は、基本的に行って帰ってくる方向のコースなので、リタイアしたら、待っていたら寒いだろうしなあ、走ったほうが早いか、と思った。 それに、今まで、どんな大会でも、自分の意志でリタイアしたことは一度もない。出走した以上は、覚悟を持って走るべき。市民ランナーの「完走するぞ」根性だ。 10キロ通過 42分51秒 (ラップ22分00秒) キロ4分44秒に落ちた。もう90分は切れないので、せめて、夏の青森マラソンの1時間33分02秒を目標にしようとしたが、これも、すぐに無理だなと思った。 全く手平坦なコース区間だが、ペースはどんどん落ちた。がんがん抜かれた。かといって、スピードを上げたら、脚がポキンと折れてしまうのではと恐れた。仕方がない。次の1キロがえらく長く感じた。がまん、がまん、完全にウルトラマラソンの感覚となった。 キロ4分44秒、4分58秒、5分27秒、そして、ついに6分02秒。 14キロ地点1時間04分02秒。残り7キロをキロ6分で行くと、1時間04分+(6分×7キロ)で・・・1時間46分・・・おおっと、これは自己ワーストではないか。 10年間、ランニングを続けてきて、ここに来て、走り始めた頃より遅いとは・・・進歩ないよな・・・・これは絶対阻止しよう! 目標ができて、少し前向きになった。次はキロ5分21秒。 15キロ通過 1時間09分23秒 (ラップ26分32秒) 「急な坂ですけどがんばってくださーい」という沿道の声。行きの逆の登り坂。しかし、自分の脚としては、下りより登りのほうが楽だった。呼吸などは楽々、ちょっと寒くなるのが心配なくらい。とにかく問題は脚だった。 それでも、幾分、痛さに慣れてきたのか、少し頑張って走れるようになってきた。 15jキロ〜16キロ 登り坂で、キロラップ、5分28秒 ここから、歩道のような狭い道に入る。次の1キロ、5分29秒。17キロの表示は、正確な位置より後ろか? このあたりから、気がついたら、再び、追い越しモードに。18キロ表示は見落としたが、17〜19キロは、9分50秒で、再びキロ4分台に戻ってきた。 ここから、頑張れば、1時間40分が切れるぞ、というとこで、これを最終目標にした。思えば、走り始めた頃、この1時間40分が壁となって、なかなか切れなかったことを思い出した。あのころの気持ちで行こう。 19〜20キロは、4分45秒で、 20キロ通過 1時間34分54秒 (ラップ25分31秒) 1時間40分が微妙。ぐんぐん、追い越しモードで走れている。 ラストは、陸上競技場のトラック、1周弱。ここで、自分の時計を見て、大丈夫、40分切れる、と思った。バックウトレートの200mスタート時点で「39分36秒」。ゴールまで200m弱だったから、後で考えると、ここですでにぎりぎり届かないという状況だったのだが、もう、大丈夫と思っていた。最後、バックストレートで抜かれたランナーをしっかり抜き返しゴールへ。 ゴール前に時計置いてあって、見たら、「1:40:0・」。えっ、どうして?って感じ。計算間違えをしていた。知っていたら、競技場に入ってから全力でいくんだった。残念。 ゴール 1時間40分05秒 (ラップ5分11秒) ゴール後は、歩くにも痛みが走る状態。徒歩10分の京成成田駅まで遠かったこと!でも、何とか、「完走」のたすき、を自分自身から未来の自分自身へつないだ大会となった。 成田POPランのコース、登り坂、下り坂、広い道、狭い道・・・曲がり角が多く、変化にとんだコースである。決っして高速コースではないので、自己ベスト狙いならお勧めしないが、自分としては、気に入った。今回はいっかり走れなかったので、来年、また、という気持ちでいる。 |
距離 | 通過タイム | ラップ | コース |
〜 スタートライン | 0:00:00 | - | 中台運動公園陸上競技場 |
〜 5km | 0:20:51 | 0:20:51 | 市街地 アップダウンあり |
〜 10km | 0:42:51 | 0:22:00 | 市街地から田園へ 坂を下って平坦に |
〜 15km | 1:09:23 | 0:26:32 | 田園地帯 平坦 |
〜 20km | 1:34:54 | 0:25:31 | 市街地へ アップダウンあり |
〜 ゴール | 1:40:05 | 0:05:11 | 中台運動公園陸上競技場へ |