2011.11.27 つくばマラソン 完走記

 5年間続けた、年に最低1回のサブスリー。6年目は果たせるか。ラストチャンスである。
 2011年は、震災の影響などで、このレースが今年2回目のフルマラソン、2月の別府大分の3時間04分35秒以来だ。この秋は、10月22日に、マレーシアのキナバル山の登山レース=クライマソンというビッグイベントがあったので、マラソンとしては、つくば1本、に賭ける!というのが、エントリー時の意気込みだった。この目標を達成すべく万全の状態で臨むため、つくばなら日帰りが可能なのに、前泊を選んだ。

 しかし・・・である。夏が過ぎて涼しくなっても、今年は走力が上がらず、クライマソンが終わって、いよいよマラソンモードに突入というところで、疲れが抜けないまま、張り切って練習してしまったためか、左のふくらはぎに、ズキッという痛みが走り、練習ができなくなった。1週間休んで11月6日の成田POPハーフに出場。ここで、後半大失速をし、1時間40分05秒。翌日でも歩いても脚を引きずるまで悪化させてしまった。ここから、さらに2週間全く走らず、11月20日のねりま光が丘ハーフは、失速せず走れて、1時間37分10秒。ラスト3キロで脚の痛みが若干出たが、何とか走り通したことで、つくば出場を決めた。ところが、レース4日前から、今度は左足裏が痛くなってきた。最初は気のせいか、と言う位だったが、前日になっても治らず、歩いても痛かった。

 せっかく前泊だったので、前日の開会イベントを見たが、1万5千人参加のビッグな大会の割には、スーパーマーケットの一角で行われた、非常に地味なものだった。足も痛いし、本当に明日、マラソンを走るのかな、と思うと不思議な感じがした。それでも、何とか目標を作ろう、3時間30分を切れたらすごいぞー、と自分に思い込ませて、レースに臨むことにした。

 

 ところが、当日は、事態を悪化されることが起きた。会場に着いてから、下痢が始まったのだ。なぜか、大会の時によく起こる。過去にも、富士登山競走、弘前アップルマラソン、北海道マラソンとか・・・精神的に弱いのだろうか。ご一緒した紅白さんとは別行動にしてもらい、自分は、トイレに並んでは流し、並んでは流し、の繰り返し、幸い、下痢止めを持っていたので、走り出せば何とかなるだろうと思った。事実、その通りだった。

 下痢の原因は、多分、飲み慣れていないスポーツドリンクを、起床後一番で飲んだことだろうか。前日の残りを冷蔵庫に入れていなかったもので、食当たり状態になったのだと思う。また、前日、エネルギー補給のため、1日4食を取ったのだが、食べすぎぎみだったか。夜食にしたコンビニのパスタは、やけに油分が多いのが気になっていた。

 天気は晴れ。風は弱く、気温は、10〜15度くらい、なかなかいいコンディションだ。
 会場は、今年から体育館が使えなくなり、屋外がメイン。雨が降ったらつらい。リスクのある大会だ。
 コースは、言わずと知れたフラット高速コース。(ただ、自分はとても相性が悪いが)

 陸連登録エリアだったので、ゆっくり10分前くらいに行ってエリアの後ろのほうに並んだが、スタートはほぼスムーズ。

★注 つくばマラソンの陸連登録エリアからの出走条件(2011年度から)
  マラソン:3時間30分、30kmロードレース:2時間25分、ハーフロードレース:1時間40分 (2009年6月19日から2011年6月18日までに開催された日本陸連公認コースを使用した大会である事)

 スタートロス 12秒
 最初の100mくらいは、人を縫うように走ったが、すぐに、自分のペースで走れるようになった。先週のハーフの時より、ずっと、身体は軽くていい感じ。やっぱり、先週、走っておいてよかった。

 1キロは、ネット4分17秒。すぐ前に見えたSAIさんに追いついて、挨拶をする余裕も。まずまず、というか、予想以上にいい感じの滑り出しだった。

 5キロ通過 22分05秒 (ラップ21分53秒)
 でも、やっぱり、4キロ以降は、キロ4分30秒に落ちた。まあ、それでも、予想以上にいい展開だ。このまま行けば、3時間10分切れるかも、とにやっという感じになった。

 給水は、約5キロごとにあり、水とアミノヴァリューが置いてあった。腹の調子に自信がないので、今日はほとんどのところで水を選択して進んでいった。

 10キロ通過 44分30秒 (ラップ22分25秒)
 3時間10分てなことないか。10キロ過ぎからは、キロ4分45秒に落ちた。まあ、でもいいのだ。今日は、3時間30分=約キロ5分が目標なのだから。予定以上の貯金を作って折り返せば、これは余裕だな、と思ったりした。

 15キロ通過 1時間08分19秒 (ラップ23分49秒)
 16キロで時計を見て、ラップ「5:00」。これは、見間違えかと思った。自分としては、体感、全然変わっていないのにだ。ちょっと、不安を感じた。でも、いいのだ。キロ5キープ。キロ5キープ。今日はこれで十分だ。

 20キロ通過 1時間33分18秒 (ラップ24分59秒)
 ハーフの折り返しの手前で、モンゴルさんが沿道から声援。行きは、「こんなところで何してるんだ!」みたいに声をかけられたが、帰りは、真面目に走っていることがわかったのだろう。「無理しないて」みたいなことを言っていただいた。知り合いに声をかけられると、ホッとして嬉しい。

 中間点 1時間38分50秒
 とにかく、25キロまでは、キロ5分ペースをキープできれば、あとは、5分10秒、5分20秒、5分30秒と次第に落としていっても、3時間30分を切れる、そう計算した。とにかく、あと4キロ、気を抜かないで、このまま行こう。
 ところが、23〜24キロで、いきなり5分31秒。体感は、ずっとペースキープしているのに、今日は、ガクンガクンと落ちていく。3時間30分が、急に厳しいラインになってしまった。

 25キロ通過 1時間59分16秒 (ラップ25分58秒)
 27キロ地点、落ちそうなペースに逆らって、「諦めない」という言葉を心に浮かべることにした。ここで諦めるのは、まだ早い。やるだけのことはやらなければ、後悔する。そう思ったら、また、少し元気が出た。27〜28キロが、5分09秒まで回復し、次の1キロは、4分51秒。タイムが上がって来ると、また、行けるぞという前向きな気持ちになった。

 30キロ通過 2時間25分36秒 (ラップ26分20秒)
 29〜30キロが、5分42秒で、えっっと思った。こんなに、いいペースで頑張っているのに、なぜ?
 今日は、主観と裏腹に、ガクンガクンと階段を下りるようにタイムが下がっていく。
 ああ、やっぱり、もう、だめだああ。この体感で5分30秒超なら、これ以上の速さで行くのは無理だあ。

 その思うと、一気に身体の力が抜けていった。どんどん抜かされたが、されるがままだった。気持ちがプッツンしてしまったのだ。

 31キロの給水所で、「31キロ給水所」の看板と「31キロ地点」の看板は別にあることに気がついた。どちらも数字が大きく書いてあるので間違えやすいが、看板の色は違う。実は「29キロ」だと思っていた看板は、「29キロ給水所」看板の間違えだったのだ。したがって、29〜30は、5分42秒かかったわけではなく、その前が4分51秒だったから平均すれば、5分15秒くらいでクリアしていたことになる。悪くないペースだったではないか。と知っても後の祭り。いったんっ下がった気持ちとペースは、もう戻らない。

 この給水所では、給食もあって、「あんパンありますよ」と言う声が聞こえた。かなり心が動いた。ここでエネrギー補給いて起死回生の巻き返しを図るか?しかし、スタート直前まで下痢をしていたことを思い出した。また、もよおしたら、残り10キロ持つはずがない! でも、やっぱり・・・・引き返してもらおうか?・・・・と迷って、結局パスした。

 30〜31キロ 6分07秒
 ついにキロ6分を超えた。このまま行ったら、3時間40分ラインか。

 31〜32キロ 7分01秒
 ついにキロ7分超えた。このまま行ったら、自己ワーストラインか。しかし、自己ワーストのタイムが思い出せない。3時間47だったか、49だったか・・・(正解は、3時間47分19秒 2002年かすみがうら)

 32〜33キロ 6分24秒
 このあたりで、キナバル山のレースでご一緒したTさん抜かれた。「とっとこさん?」と心配そうに顔をのぞかれ、声をかけられた。
山では負けても、ロードでは負けるもんか!って、100mくらい、Tさんに食い下がって追ってみた。でも、無理、そこまで。その後の反動により落ち込みはすごかった。

 33〜34キロ 7分46秒
 34〜35キロ 9分33秒

 35キロ通過 3時間02分27秒 (ラップ36分51秒)
 キロ9分とは!野辺山100キロの最後の10キロと同じではないか! 今までフルマラソンは何度も撃沈したが、それでもキロ7分だったはず。
 残り9分で7キロ 9×7=63分は、小学生でも計算できる。4時間を超える!という、あり得ない予想ゴールタイムとなった。
 以前、どこで誰にかは忘れたが、もし、4時間が切れなくなったら引退するって言ったことを思い出した。その時は、自分が高齢者になった時を想定していたのだが、まさか、こんなに早くその時がやって来るとは思っていなかった。

 ここは、アスリートとして、「4:」とう数字を見るくらいだったら、潔くリアイアしたほうがいいだろうか、とも思った。
いや、だめだめ、自分の意志からレースを止めたことは、今まで一度もないのだ。そっちのほうが尊い。引退発言は撤回だ。

 35〜36キロ 9分09秒。
 36キロ地点で、今度は、右手にしびれを感じ始めた。これはまずい。脳から出ているんだったらやばい。家族を守らなくっちゃ。もうタイムどころではない。タイムはどうでも、リタイアしたほうがいいのではないか?

 もう、ふらふらモードだった。せめて、何か口に入れることが出来たら?31キロの給水(食)所で、あんパンを取らなかったことを後悔した。もしかしたら、このあたりで、再び給食所があるかと期待していたのだが、結局、あそこが、最後の給食所だったのだ。
 
 そんな時、救世主が現れた。
 沿道で、いちごミルクのキャンディを、ランナーに渡している方がいたのだ。
 救われる思いで「ありがとうございます」と言って、キャンディ1個をいただき、口に入れた。あいしかったこと!

 これをきっかけに、前を向いて走る気になってきた。しばらく、ずっと、下を向いて走っていたことに気がついたのだ。

 口の中に入ったキャンディの力で、少ずつ、力を入れて走れるようになってきた。右手のしびれもなくなっていった。素晴らしい効果!

 その後も、道の端を走り、何か食べ物は?と乞食状態。ありがたいことに、その後、チョコ、レモン飴、梅干、みかん、をいただいた。。感謝、感謝。「がんばれ」という声援も嬉しいけれど、モノをもらうのがこんなに嬉しいことはなかった。

 さあ、サブフォー勝負!という気になれた。

 残り5キロ、筑波大学の森の入るところ、ハーフ地点で声援をいただいたモンゴルさんが、またいて、驚いた。素早い移動での応援、ありがたい。「サブフォーぎりぎり」というと、「サブフォー サブフォー(がんばれ)」という感じで答えていただいた。

 「残り5キロ」が、3時間20分45秒。キロ8分では間に合わないが、少し切ってくれば間に合う。

 ここからは、スタートからのキロ表示の他に、残り距離の表示も1キロごとにあった。残り距離 × 8分 を目安に、落ちないよう、落ちないよう、必死で行った。ここからの大学付近では、食べ物はない。残り距離、ひるまず、頑張るだけである。

 残り4キロ 3時間28分11秒
 残り3キロ 3時間35秒18秒

 沿道からは、「サブフォーできるぞー、間に合うぞー」という声。でも、こっちは、ぎりぎりという感覚だった。周りのランナーを見ても、こんなに必死に走っているランナーはいない、って感じになっていた。それでも、流れには、やや遅れ気味。

 40キロ通過 3時間41分09秒 (ラップ38分42秒)
 残り2キロ 3時間42分47秒
 多分、サブフォー、いけるかな、と思えてきた。でも、まだ油断大敵。キロ9分に落ちたらだめだ。

 残り1キロ 3時間50分05秒
 スタート地点のAブロック、Bブロック、Cウロック、Dブロック、Eブロック地点を通過し、陸上競技場へ。
 もう大丈夫。ラストは、57分台より56分台のほうがいいな、といつも通りタイムにとだわり、
 ゴール 3時間56分52秒 (ラップ15分43秒)

 自己ベストより1時間以上遅い、自己ワースト。それでも、終盤で立てた目標=サブフォーを守れて、ゴール後は、満足感のほうが大きかった。

 とっとこ仲間の掲示板でご一緒している、ホッケさん、紅白さんには、しばらく待っていただいたということで、申し訳ない。お二人とも、見事、サブスリー、おめでとうございます。

 そして、今回は、Kinchanさんと、カズUさんも、初サブスリー!お二人とも、最後まで諦めない見事な走りだったようで、本当におめでとうございます。

 次のフルは、1月の勝田。脚のほうは、それほど壊れなかったので、正月に少し走り込めれば、今回のようなことはないだろうかと思う。

距離 通過タイム ラップ コース
〜 スタートライン 0:00:12 - 筑波大学陸上競技場西
〜 5km 0:22:05 0:21:53 筑波大学周辺
〜 10km 0:44:30 0:22:25 北へ 学園西大通り
〜 15km 1:08:19 0:23:49 西へ
〜 20km 1:33:18 0:24:59 南へ
〜 中間点 1:38:50 - 南へ
〜 25km 1:59:16 0:25:58 折り返し 北へ
〜 30km 2:25:36 0:26:20 東へ
〜 35km 3:02:27 0:36:51 南へ 学園西大通り
〜 40km 3:41:09 0:38:42 筑波大学周辺
〜 ゴール 3:56:52 0:15:43 筑波大学陸上競技場